2011/05/29

怒りのエネルギー

久々に怒った、昨日から今日の夕方にかけて。

それは本当にたわいも無いことだけれど、多分、その肯定的意図を私が知っているから、これほど感情的になったんだと思う。

それは簡単に言えば、本当に大切だと思うことを、どうすれば人に伝えることができるか、というだけのことだ。

私からすれば、本当にそのことを人に伝えようと思っているならば、ただそれを一番の目標として伝える方向に向けばいいだけなのに、と思う。


でも、世の中はそれほど単純じゃなく、人の心理はそれほど簡単でもない。


そう、私がすごいなぁ、と思いかけていたその人は、私の中では、結局はその人のエゴのために、大上段振りかざしてるだけなのだ。結局は、派閥も何も関係なしに、本当にそのことを伝えたいのではなくて、自分がいかに熱い想いをもっているか、だとか、自分がどれ程みんなのために尽くしているだろうか、とか、確かに部分的にはあっていることなのだけれど、ある意味、二義的なことに踊らされてしまっている姿が滑稽に思えてくる。

そんな自分に酔っているんだろう。

誰か敵を作ることで、自己正当化をしたいだけなんだろう。


うーん、口惜しい。


すごくいいところがあるのに、その頑なまでの自己愛から脱皮できていない。


カッコいいけど、死ぬ程、最低。


どうなんだろう。カリスマ性を、それほど求めることって、必要なんだろうか。


マザーテレサは、そこに威圧的なカリスマ性があったから、あれ程の言葉を世界に広めることができたのだろうか。

彼が崇拝してやまないジョン・レノンは、彼のような、ある意味、上辺だけのリーダーシップがあったから、これ程多くの人々に愛を届けることができたのだろうか。

答えはnon じゃないかしらん?


少なくとも、彼との出会いは、私にとって反面教師になり得たという意味において、非常に価値のあったものである。ピリオド。