久々に怒った、昨日から今日の夕方にかけて。
それは本当にたわいも無いことだけれど、多分、その肯定的意図を私が知っているから、これほど感情的になったんだと思う。
それは簡単に言えば、本当に大切だと思うことを、どうすれば人に伝えることができるか、というだけのことだ。
私からすれば、本当にそのことを人に伝えようと思っているならば、ただそれを一番の目標として伝える方向に向けばいいだけなのに、と思う。
でも、世の中はそれほど単純じゃなく、人の心理はそれほど簡単でもない。
そう、私がすごいなぁ、と思いかけていたその人は、私の中では、結局はその人のエゴのために、大上段振りかざしてるだけなのだ。結局は、派閥も何も関係なしに、本当にそのことを伝えたいのではなくて、自分がいかに熱い想いをもっているか、だとか、自分がどれ程みんなのために尽くしているだろうか、とか、確かに部分的にはあっていることなのだけれど、ある意味、二義的なことに踊らされてしまっている姿が滑稽に思えてくる。
そんな自分に酔っているんだろう。
誰か敵を作ることで、自己正当化をしたいだけなんだろう。
うーん、口惜しい。
すごくいいところがあるのに、その頑なまでの自己愛から脱皮できていない。
カッコいいけど、死ぬ程、最低。
どうなんだろう。カリスマ性を、それほど求めることって、必要なんだろうか。
マザーテレサは、そこに威圧的なカリスマ性があったから、あれ程の言葉を世界に広めることができたのだろうか。
彼が崇拝してやまないジョン・レノンは、彼のような、ある意味、上辺だけのリーダーシップがあったから、これ程多くの人々に愛を届けることができたのだろうか。
答えはnon じゃないかしらん?
少なくとも、彼との出会いは、私にとって反面教師になり得たという意味において、非常に価値のあったものである。ピリオド。