「君はここに何をしに来たの?」
そこに表現されている恐ろしいまでの「飢餓」は、のだめに秘められた巨大な才能と、それを実現するための手段をまだ見出せない焦燥感をあわらしているような気がします。
大きな才能に出会ったとき、私たちピアノ教師もその「飢餓感」と「焦燥感」をもろに受けてしまって怖くなるときがあります。才能は、大きければ大きいほど求めるものも大きいです。普通の成功では満足できない、普通に弾けても充足感はない、普通に褒められても喜ぶことができない。いつも心の真ん中にぽっかり穴があいていて、どんな成功も称賛もそこから流れ落ちてしまうような。
でも、至高の瞬間はそんなにあるものではありません。のだめはまだ不完全で修行半ばですが、その瞬間をすでに味わってしまったことがあるのです。
のだめが子供のころ、才能を愛でられるたびに拒絶反応を示したのは、自分の才能を知らなかったからではなく、知り過ぎていたからではないでしょうか。自分ができることの大きさ、しかし、そこに至るまでの過酷な道筋、そのためにしなければならない精進、努力・・・ その重さがいつも彼女をおしつぶしてきたのではないでしょうか。
(中略)
「そーゆーのもうたくさんなんですよ!!」「自由に楽しくピアノを弾いて」「何が悪いんですか!?」
千秋から「コンクールであの舞台でピアノを弾いて」「本当に楽しくなかったか?」と訊かれたのだめは、「楽しくなかったです!」と答えます。もちろんです、当たり前です。芸術の仕事なんて、楽しくないんです。楽しいわけがない。いつも自分の背丈より大きな袋の口を閉じようとする不毛の努力が、芸術するということなんです。
理解が浅い画家さんは、のだめの飢餓感、焦燥感をポジティブに受け取って、単なる「芸術は爆発だ」的に解釈してしまったんですね。
でも、千秋はもっと先まで見ている。千秋のほうがのだめの可能性、のだめに課せられた才能のくびきの重さを知っている。それは、千秋自信が -種類は違うけれど- 同じぐらい大きな才能を持っているからです。だから、彼女がステップアップするためにどうしても言わなければならないことを言うのです。言ったことによってのだめのピアノは一時的にしぼむかもしれないけれど、それは、彼女の才能を十全に活かすために絶対に必要な過程なんです。
====== コメント =======
これを書いている間、無意識が突如反応して、大粒の涙がこぼれてしまった。そして、5月にHちゃんと無意識シグナルをジョンの前でワークしていたときのことを思い出した。
そう、あの時、「彼女の涙は、もしくは、反応は、なぜ無意識からの反応だと分かるのですか?」という質問があった。その時、彼も言っていたけど、無意識と意識が繋がった時、感情のリリースが起こり、それが涙になることもあるんだと。
これこそまさしく、今日、いつもフォトリードの後にさらっと流す意識的な読み方しかしない私が、普通に1時間かけて、この本を初めから最後まで、トレードしながら読んでた理由かも。
そしてこの文章に出会うために、この間、子供が眠っている中、トレード画面を横目に、夜中に「のだめカンタービレ」を観たのだと、今、初めて気がついた。
なぜだか分からずも、どうしても本を読むのをやめることができなくて、結局、最後の最後になって、上に書いた言葉に出会って、そこから一気に色々なことが私の中で起きて、それが涙に変わってしまった。
今、一気につながった。無意識のかなたまで。
そして、マネックスの松本 大さんのコメントをここに書きたい理由とも繋がった。
びっくり。
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