2010年3月18日10:56
私が今、戻ろうとしている原点、そのメタファーがボストンなのかもしれないね。
今、読んでいる「知の巨人」には、ルーイントンもスティーブも、チョムスキーもドーキンズもペンローズも出てくる。
そして同じ理由で、私は加藤周一を忘れ得ることが出来ないんだと思う。
日本に帰国してから、一辺倒にお金の世界で生きてきたけど、自分なりのスーパートレーダープログラムを始める前に、なぜこうもボストンでのアカデミックだった生活をこんなにまで懐かしむんだろう。
リビングのソファーの上でしたRとの進化論についての激論、懐かしいなぁ。
彼、日本に来て私がすごく変わったって言ってたけど、確かに納得かも。素直さは前より獲得したけど、忘れ去っていたものはあの頃の反骨精神と懐疑的思考と論理的マインド。
私のパターンは、いつも究極の選択にでること。勝負をかけること。
失うものが何もないという究極の強さは、彼からのプレゼント。
日本で学んだものは、実戦力や行動力を持った時の思想の強靭さ。
そして、南と北に位置していた両極のパワーを統合するプロセスの体験。
言葉による癒しと言葉の武器。
1人で壮大な思想を温めて、自分の死後にそれが世界に広まる位なら、私はチョムスキーのような生き方も面白いと思うし、そういう生き方を志す。
ただ、表現方法は、彼らのような限られた言語、そしてその結果、人を挑発するだけに終わった言語では窮屈すぎる。だから私は、ジョンと出会い、スティーブに教えをこうているのだろう。
今までの出会いが自分のパートに変異した。そしてそれぞれのパートが統合してる。それは新たな私を創り続け、さらに異なるパートを引き寄せる。
センターに落とす。そして繋げ、広げ、さらにそれをもっと遠くへ伸ばしていく。センターとの繋がりはそのまま、そしてまたセンターに戻ってくる。
その繰り返し。
and i will pass this on to rain and other children...
0 件のコメント:
コメントを投稿