2010年3月30日21:12
抑えようのないと思われる怒りがある間は、まだ本当の意味の復讐の時期ではない。それはゆっくりと熟成していき、時をかけて成し遂げるものである。
もはや他の誰もが関係なく、自分の決めたことを、静かに実行するのみだ。世界の誰もが私の優れた行為を復讐などとは思わないであろう。しかし、復讐を思い至るにいたった出来事に肯定的意図があるのと同じように、私の復讐にも肯定的意図は存在するのだ。
マキャベリ曰く、善い結果を導き出すために、悪の行為が正当化されることはあるのだろうか。
善悪はあくまでも相対的なものだろう。だから、私の復讐は、決して復讐ではないのだ。
アインシュタインからのパクリで、その問題が起きた時と同次元の考えしかもたないのなら、その問題を解決することは決してないのである。
故に、過去の問題と同次元のレベルにいるかぎり、決して復讐を成し遂げられることはないのだ。
頭の中のざわめきを消し去れば、センターと繋がった場が私に何かを提示してくれる。それは決して消極的な生き方などではなく、あえてセンターに繋げるという非常に主体的で積極的な生き方なのである。
答えが私の中に存在するのなら、それを静かに探しに行こう。
傷は癒すことができる。しかしその神聖な行為を許されているのは、私しかいないのだから。
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