2011/01/06

バランサーとしての私

彼女をあんな状態にした上司の人に、私はたいそう、気に入られてしまっている。

そして彼と話すのがとっても面白い。


それは決して、彼のすべてが好きだと言うことではなくて、彼のある部分が非常に好きだと言うこと。

そしてそのことに異論はない。


彼の世界観は非常に狭いところが多いとは思うけれど、そう思う私や彼女の世界観が非常に大きいとも思わない。

そしてこういう論理展開は、加藤さんから学んだ大切なこと。



彼からふられた話を、それでも正々堂々と彼女に伝えた。

普通じゃ考えられないことだけど、私にはそれが「正論」の気がしてならない。


世の中はすべてが相対だと思うけど、その中でもし自分にとっての「絶対」があるならば、それこそ私の信条であり、価値観かもしれない。

そしてそれは、時間や経験の波とともに変化しているのだ気づくことこそ、私が謙虚さを失っていない証であると思う。


彼女にあのことを告白した私には、絶対的な自信があった。

コンテンツ的には非常にKYだけれど、プロセス的には、かなり場ができていた。

それこそラポールであり、それこそステートチョイスだった。


私はもう、ウソをつきたくない。

だからこそ、本当に心からそう思ったからこそ、自分の生きる術として、こういうスキルが身についたんだと思った。


結果、私は彼女とも更に深いラポールを気づけ、彼女の世界観は広がり、彼とも深いラポールを構築し、彼の信頼は倍増した。

これが「現実はつくるもの」と言うことなのかもしれない。


私が一時期、ダライラマにこっていたのも、こういう結果を待ち望んでいたからかもしれない。


今、もう一つ、私のハートにつっかえているものを、もうそろそろどうにかする時期がきたみたい。


それは、私が望む形でするのではなく、彼の望む形で、さらに私もゆったりとした気分になれる形にもっていこう。

それこそコミュニケーションのスキルの問題だけなのだから。