2011/06/02

シュリーマンの多言語習得法

http://moitie2.seesaa.net/article/7234387.html より

トロイアの遺跡を発掘したことでも有名なドイツのハインリヒ・シュリーマンは、わずか6ヶ月でフランス語をマスターしたそうです。

 わたしは、ほんの数日前、考古学者としてのシュリーマンにではなく、生涯に10数カ国語を習得した、いわゆる polyglot (多言語習得者)としてのシュリーマンに興味を持ち、彼の自伝である「古代への情熱」を実際に読んでみました。

 読んでみて、なにより驚いたのが、シュリーマンがひとつの外国語を習得するまでのスピードです。英語とフランス語は6ヶ月、オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語は6週間で、どれも自由に話したり書いたりできるようになっているのです。



彼が語る、たいへん効率のいい語学習得法とは、
① たくさん音読すること
② 翻訳しないこと
③ 毎日レッスンを受けること
④ 興味のもてるテーマを選んでたえず作文すること
⑤ それを先生の指導のもとに訂正すること
⑥ それを暗記すること
⑦ 次のレッスンのとき訂正部分をもう一度やってみること
だそうです。

 初めにとりかかった英語の勉強では、住み込み店員としての貧しい給料の半分を、先生を雇うなどの勉学の費用にあて、どんな半端な時間でも勉強のために活用し、無理にでも時間をひねりだしたそうです。

 エピソードとしては、よい発音を早く身につけるために、日曜ごとに教会の礼拝に2回ずつ出席して、牧師の説教を聴きながら、一語一語、正確に口の中で唱えたり、使い走りのときは、たとえ雨が降っていても、かならず片手には本をかかえ、何かを暗誦しながら歩き、郵便局で順番を待っているひまには、かならず本を読み、夜中には不眠の数時間をつかって、その晩に読んだ文章を頭のなかでたどりかえした、とあります。

 これらのエピソードを読んだとき、歩きながら「リオ」で例文を聴いてシャドウィングを繰り返したり、寝る前に例文を音読したりする自分の姿が、不遜にも、重なって思い出されました。そうして、苦学する若きシュリーマンに、そっと「リオ」を手渡したいとさえ思いました。


さらに、シュリーマンは、こうして苦学しながらも、時間を工面して「ウェイクフィールドの牧師」と「アイヴァンホー」をどちらもぜんぶ暗記してしまいます。

 このようにして、英語を半年ですっかり自分のものにすることに成功したあとは、フランス語に関しても、同じ方法を適用し、やはり6ヶ月でフランス語が自由に使えるようなります。

 フランス語を学ぶ際には、「テレマックの冒険」と「ポールとヴィルジニー」を全文暗記したそうです。

 「仏検 準1級・2級必須単語集」のわずか20例文を覚えるのに、丸1年をかけてしまったわたしは、この記述を読んで、すっかり小さくなってしまいました。

 しかし、それぞれ無関係な例文をバラバラに覚えるよりも、文章が有機的なつながりをもつ物語を1冊覚える方が、むしろ楽なのかも知れません。

 わたしが、例文暗記の素材に、迷ったすえ「これは似ている英仏基本構文100+95」ではなく「仏検 準1級・2級必須単語集」を選んだのも、同じ理由からでした。

   (このあたりの事情は、こちら)

 また、シュリーマンは、先生の見つからなかったロシア語の勉強では、フランス語で用いた「テレマックの冒険」のロシア語訳を丸暗記することで、半年後には、ロシア商人とのあいだで、すらすら会話が交わせるほど上達します。

 シュリーマンは、ギリシア語を習得する際にも、同じように、フランス語で用いた「ポールとヴィルジニー」のギリシア語訳を手に入れて、1語1語フランス語の原文とつきあわせながら通読しています。


それにしても、読んでいて、おもわず吹き出したのが、シュリーマンが、「テレマックの冒険」の全文暗記を行う際に、「だれかに話して聞かせることにすれば、よりいっそうはかどるだろう」と思いついたくだりでした。



そこで私は、ひとりの貧しいユダヤ人を1週4フランで雇ってきた。彼は毎晩2時間ずつロシア語の暗誦を聞かされる・・・自分にはひとことも分からない話を。


 「古代への情熱」を読んだ、といっても、語学を習得する場面の出てくる第1章だけの拾い読みでしたので、寝る前の小1時間で読み終えることができました。

 語学とは無関係な箇所でも、初恋の相手ミンナへの思いや、小さな食品店の住み込み店員から「もうこれ以上財産をつくる必要はないから商業活動をやめよう」と思うほどに大成功を収める半生には、ついつい引き込まれてしまいます。

 短期間で次々に外国語を習得していくシュリーマンの方法論は、それだけで十分刺激的でしたが、なにより、家庭の事情でろくに教育も受けられなかったシュリーマンが、生活のための労働に従事しながら、自らの運命を切り開くべく、語学の習得に没頭する、その情熱と行動力には、自然と背筋が伸びる思いでした。