2010/10/05

さっきの秋元康に関して

私は昔、何かのきっかけで突然、秋元康に興味がむくむくとわいて、彼が書いた/彼についてかかれてある本をかなりの数、フォトリーした。

だって、ものすごい人だと思ったから。

彼の放送作家としてのデビューの話を読んでいても、やはりそれは全然、普通に思えなかった。その感覚にびっくりした。

それはたとえて言うならば、この間、本田さんが神田さんとの対談で言っていたことに近いかも。つまり、皆さんみたいにフォトリーなんて全然知らないけど、ものすごい勢いで、がんがん稼いでる人、いますよね~、みたいな話。

つまり、インプットばっかりしてる人と、アクションベースでTOTEできる人との違いの話。

頭だけよくっても、いわゆる社会でのコミュニケーション能力が低い人との違いの話。

そう、それは本当によくある話だと思った。


そして、それと同時に、私の周りにいる人が、みんなこういう人たちばかりのような気がしてきた。


のっけから世界が狭すぎる!

初めから、できないことのオンパレード!!

that's bullshit.


そう、私も含めて。


ある意味、まじめ。でも、要領が悪い。トレンドに乗っかるだけ。それを創り上げる人ではない。

visionary じゃなくて、follower。 自分達は自由だと思ってる人は、その自由が見せかけだけの限られたスペースにしか存在していないことを知らないのんきな人たち。目的のない放浪者。


みんな、それなりに、頭がいいと思ってる。

みんな、それなりに、レベルが高いと思ってる。


でも、でも、でも。


それは私の求めている場所ではない。

そのことに改めて気づいた。


すごい人は、そう、本当にすごい人は、誰がその人のことを語ったとしても、その驚くほどのすごさが伝わってくる。

そしてそのことに驚いた。


仮に60歳まで生きられたとして、あと、201240時間しか残されていない。

うん、初めて自分の命の砂時計を意識し始めた。

そうしたら、本当に見たいものが見え始めた。


今、さっき言った人たちからいろいろなオファーが来ている。それはビジネスの話やプライベートの話、投資の話もあるけれど。

でも、ある意味、どれをとっても、全然クリエイティブじゃない。ちょっと考えれば、そして、全然考えなくても、超馬鹿みたいな話が多すぎる。そしてそのフレームワークの意味が分かっていないことが多すぎる。私から見て。


そしてまた、秋元康の話。

彼のことを好きでも嫌いでも、やはりトレンドを先行した彼は、その行為をもって彼の価値があるのだと思う。


限界がない思考ってすごい。それと同時に、現実を認識する眼。そして、自分を客観視できるステート。

なんだかこういうところに、1+1=3 の思考がありそう。