2010/06/15

国をつくるという仕事: 西水 美惠子 のあとがきより

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真のリーダーの抱く夢-解説に代えて

社会起業家フォーラム代表 田坂 広志


リーダーシップの原点とは、何よりも、人々に対する共感、だからである。

真のリーダーシップは、必ず、人々に対する共感を原点としている。



「自己の願望」から発するリーダーシップは、「他者への共感」から発するリーダーシップとは、似て非なるものであり、その自己中心性と操作主義がゆえに、必ず壁に突き当たり、そこからは、決して、真のリーダーは生まれてこない。


千人の頭となる人物は、千人に頭を垂れる人物である。

すなわち、千人の人々のリーダーとなる人物は、千人の人々への深い思いと共感を持つ人物である。


優れたリーダーとなるためには、多くの優れた資質が求められるのではないか。

しかし、そうではない。
真実は、そうではない。

なぜなら、優れたリーダーの持つ優れた資質とは、実は、リーダーとなるための「条件」ではなく、リーダーの道を選んだ「結果」だからである。

人間である限り、誰もが「迷い」を持っている。「弱さ」を持っている。
では、優れたリーダーと評される人物は、いかにして、その「迷い」を捨て、「強さ」を身につけたのか。
我々がリーダーシップを論じるとき、まさに問うべきは、その問いであろう。


「原体験」

西水氏にとって、このナディアが、原体験となった。
このナディアという幼女の人生に対する、魂が震えるほどの深い共感。
その共感の原体験が、それからの西水氏の、すべての行動原理となった。
そして、そこから、西水氏のリーダーとしての成長の歩みが始まった。



では、「共感」とは何か。

それは、「自分の姿」を見る瞬間のこと。

今、目の前で悲しみ、苦しみ、孤独の中にある一人の人間。
それは、実は、自分の姿。

もし、この世に生まれてくるとき、何かがわずかに違ったならば、
自分がその境遇に生まれたのではないか。

ほんのわずかの偶然が、相手と自分の人生を分けただけではないのか。

されば、今、目の前にいる相手の姿は、自分の姿ではないか。
この世界の不条理の中で苦しむ一人の人間の姿は。実は、自分の姿ではないか。

我々がその思いを抱くときに、そこに、「共感」が生まれている。

そして、その意味での「共感」を抱くとき、我々は、歩み始める。

この不条理に満ちた世界を変えるために、思いを定め、願いを込め、一つの道を歩み始める。

そしてそれは、真実の瞬間。
それは、一人のリーダーが生まれた瞬間。

しかし、そのリーダーとは、多くの人々を導くリーダーではない。

それは、自分自身の人生を導くリーダー。

世界の不条理や社会の矛盾を前に、ただ黙し、目を背け、現実に流されていく人生ではなく、他の誰かに依存し、動かされ、主体を失って生きていく人生ではなく、自分自身の人生を、自分が導き、生きていく。

その一人のリーダーが生まれた瞬間。

そしてその一人のリーダーが、この社会の片隅で、思いを定め、願いを込め、一筋の道を歩むとき、
そこには必ず、その後姿を見つめている人々がいる。

そして、それらの人々の中から、必ず、また、一人のリーダーが生まれてくる。

そうして生まれてくる無数のリーダー。
自分自身の人生を導く無数のリーダー。

真のリーダーが求めるべきは、実は、その世界。

真のリーダーが求めるのは、無数の人々が、自分というリーダーに付き従うことではない。
真のリーダーが求めるのは、無数の人々が、自身の人生のリーダーとして生きていくこと。

そのことを理解するとき、我々は、著者が、本書の最後に、雷龍王の姿を描いた意図を知る。