2010/11/29

先に、先に

【ボカンと売れる】 『フットワークのいい会社』の大誤算とは? より
2010年11月29日7:07


例えばですけど、


「母の日のイベントに、母娘の親子のお客さんをたくさん集めたい」という販促企画を考えた、フラワー関連の会社があったとします。



この企画を成功させるためには、

まず、企画の概要、アイデアを詰めていく作業が必要です。

いろいろ情報をインターネットで集めたり、

同業者やコンサルタントの意見なども聞かなくてはいけないので、

だいたい、考えた販促企画が具体的にまとまるのには

半月ぐらいの日数はかかると思います。

本日が11月29日ということを考えると、この『母の日企画』がまとまるのは、



だいたい『12月中旬』頃と考えたほうがいいでしょう。



で、ようやくまとまった考えを、今度は会議に提出して、

スタッフや経営者の意見を聞かなくてはいけません。

そこで「この母の日企画はいいねぇ」という話になれば、

すぐに作業に取りかかることができますが、

ほとんどの場合は、会議の出席者のいろいろな意見を考慮して、

「もう少し、考えを練ったほうがいいでしょう」と言われることになり、

また、販促企画を作りなおす期間が必要になります。

で、だいたい企画を練り直したり、修正したりするので、またこれで半月。


そしてようやく、『12月下旬』に、会社側から企画のGoサインが出ます。


そうなると翌年の1月からこの企画を成功させるための、

本格的な活動を開始していきます。

会場の手配、予算の見積り、イベントのスタッフの手配、機材資材の手配・・・。

そのようなことを考えていくうちに、おそらく、また半月ぐらいかかって、


『1月中旬』頃に、母の日企画の「スタンバイ」が完全にOKとなります。


企画の内容が具体的に決まれば、次は販促方法の「戦略作り」です。

何の媒体を使って、どのような広告を利用して、どのくらいの人数を集めるのか、

ここがしっかり固まらないと、予算と広告媒体を作るための素材が決まりません。

これを調査したり、過去の広告のデータを収集したりするのに、これでまた半月。


そして、『1月下旬』頃には、およその広告宣伝戦略が確定します。


さらに2月上旬からは、販促ツールの制作に入ります。

いわゆるお客さんを集めるための、ホームページや販促DMに使う、

キャッチコピーや写真の素材を作ったり集めたりする仕事ですよね。


母の日イベントですから、

お母さんと娘さんの写真を撮影しなくてはいけませんし、

まずはモデルさん(もしくは知人)の手配から行わなくてはいけません。

で、イベントを行っているような風景を会場にセッティングして、

そこで、手配した母娘の楽しそうな写真を撮影して、

他にもイベントを連想させるような細かいイメージ写真も撮影して、

ホームページやチラシの制作で充分使える写真素材を手配します。

加えて、広告戦略に合わせたキャッチコピーや本文も考えて、

レイアウトも確定させるところまで考えれば、

やはりここで半月ぐらいの日数はつぶれることになるでしょう。


結果、広告宣伝用の素材が集まるのが、『2月中旬』。


そこからデザイナーやホームページを制作する会社に仕事を依頼して、

即効で作ってもらっても、販促媒体が完成するのは『2月下旬』頃。

そして、ホームページは完成して、ネット上にアップできる状態になったものの、

販促チラシに関しては、完成したデザインを、

今度は印刷所に持ち込まなくてはいけません。

枚数をある程度刷るのであれば、

やはりここでも半月ぐらいは見ておいたほうがいいでしょう。


そうなると、印刷がすべて終わって、手元に販促チラシが届くのが『3月中旬』。


そこから今度は、販促チラシをダイレクトメールの封筒に詰め込んで、

常連のお客様に送る準備をしなくてはいけません。


常連客のデータを抽出して、ラベルを用意して、

さらに封筒を準備して、そしてチラシ折って挿入して、切手を貼って・・・

なんて地味な作業は、人数が少ないと半月ぐらいかかりますから、


ようやくダイレクトメールのスタンバイができるのが『3月下旬』。


これで配送の準備が完了して、お客さんの手元に届き、

封筒を開けるところまで考えると、だいたい『4月上旬』から中旬頃には、

「母の日企画」のダイレクトメールの情報が




ようやくお客さんの手元に届くことになります。




ふ~。

「母の日」は5月の第二週の日曜日。

ダイレクトメールが届いたのが4月上旬~中旬。



「間に合った~!」








って思うでしょ?






実は、ぜんぜん間に合っていないんですね!


だってご存知ですか?

今年の「母の日」の5月8日は、





ゴールデンウィークの「最終日」になっちゃっているってことを!





今年の5月の第二週は、5月の第一週が日曜日のために、



ゴールデンウィークに「母の日」が珍しくあるんです!



つまり、アクティブな母と娘は、

ゴールデンウィークの予定をあらかじめ組んでいる可能性も高く、

5月8日は、お出かけの予定を早めに入れていることが考えられるので、

母の日の「1ヶ月」を切った頃に情報が届いても、




予定が埋まっちゃっている可能性の方が高いんです!



だから、最低でも常連客に母の日のダイレクトメールを郵送で届けるのであれば、

3月中旬~下旬頃には届いていなくてはいけないし、

このことを考慮して、販促企画を考えるのであれば、




11月上旬~中旬にかけて、もうすでに来年の5月のイベントぐらいのことは、

動き始めていなければ、間に合わないんですね。




もちろん、これは「販促企画」についてのお話ですから、

これが新商品開発や新サービス、新規事業のアクションであれば、

もっともっと前から動かなくてはいけません!

大企業であれば、これらの活動はすべて分担制になっているので、

もう少しタイトな動きができるかもしれませんが、

中小企業で動ける人間が限られている会社であれば、

大企業の分担制に対して、時間軸で対抗していかなくてはいけませんから、

スケジュールを前倒しで動いていかないと、

どうしても、今の時代の「スピード」についていくことはできないのです。




いいですか?



よく、販促企画や戦略の話をすると、

「うちには人手がなくて」
「うちには予算がなくて」
「うちには時間がなくて」

と、言い訳をする人がいますが、

そういう人のほとんどは、



スケジュールの「先」の計画が立てられていない人です。



先に動くことが出来れば、

状況も冷静に考えられますし、仕事の分散させることができるので、

余裕を持った対応ができます。

また、突然の変更があったり、イレギュラーな対応を求められても、

スケジュールに余裕がありますから、即座に対応することも可能です。


でも、勘違いしている人は、この「先」の読む期間を、

1週間だったり、1ヶ月だったり、3ヶ月だったり、

「短期間」でしか捉えていないのに、今の行動に満足していたりしています。



でも、実際に競合と戦っていくのであれば、




最低でも「6ヶ月」先ぐらいの動きをしていないと、




今の販促のスピードには中小企業は絶対についていくことができません。

比喩の解釈

2010年11月27日17:14

私の中から溢れ出てくる比喩の海を泳ぐには、時としてその解釈が必要かもしれない。そのために得るべきスキルを、意識、無意識レベルで貪っているみたい。

私はどこへ行きたいのでしょう?湖へ流れていく川の上流。どうやって?裸で泳いでいきたいの。

何のために?それを探すために。

2010/11/25

私への弔辞

今日、この場にいらっしゃる方々は、みな胸に色々な思いを抱いて集まってこられた方々だと思います。
ふと周りを見回して、自分とはずいぶん違う感じの人たちもいるんだなぁ、と思っていらっしゃる方、あなたはあっていると思います。生前の彼女は、常に変化を好み、類まれなるコミュニケーション力を用いて、様々な分野の、様々な職種の方々と親交を持っていました。それは決して国や地域の境に分断されること無く、人間の持ちうるその創造性や調和をベースにした、常に広がりのある世界でした。

彼女は常に先を見続け、それと同時に、今この瞬間をも生きている人でした。争いのあるところには調和を、絶望には光を照らす人でした。彼女は決してクリスチャンではありませんでしたが、彼女の自我が育っていく過程において、キリスト教の果たした役割は大きかったのかもしれません。そして後に仏教徒となった彼女は、以前にもまして慈悲心や調和を求めて日々、鍛錬されていました。

その笑顔からは想像もつかないような困難に出会われたときも、彼女は一時たりともその笑顔を崩したことはありません。涙を見せないその深い悲しみ、それを私は初めて見たように思います。

彼女は常に自分の成長、そしてそれと関連して世界の創造の場を生成しようとしていました。人を変えるのではなく、自分が変わる、そしてそれによって周りがどう変わるか、それを楽しんでいたのではないでしょうか。

彼女が全ての生をかけて築きあげてきた世界を、皆さんは今、体験されていることと思います。それは人間関係や目に見えないソフトなものであるかもしれませんし、例えばあのプロジェクトや建物、もしくは開催された国際会議などかもしれません。それが何であれ、その根底に一貫して流れているのは、彼女の人間に対する愛と敬意です。慈しみの心です。許しです。

それはまるで雄大な河の流れに包まれている一人の人間の様かもしれません。その流れをとめようとするのではなく、体全体でその流れに身を投じ、優雅で美しい踊りを待っている少女のようなのです。

私たちは、彼女の舞いを一生覚えているでしょう。それは、その流れに続いている小さな渦や泡の数々を、私たちが忘れることはないからです。

投資とリターン

「売り上げと利益」だけでなく、「投資とリターン」の視点を持つ


例えば3000万あるならそれを元手に不動産ローンを組んで1億の物件を購入。そこからキャッシュフローで900万のリターン。つまり、30%のリターンを得る。

こういうことができる人は、仮に300万しかなくても、それを元に90万生む事ができる人である。

そしてつまるところ、本当に30万しかなくても、それを元に9万を生めなければ、上のような90万や900万、果てはその上の9000万~ にはできないのである。

そう、30万を39万にすればいい。

そのために、何にフォーカスすべきか、何をすべきか。

そういうことを考えていくと、行動ができないと言うことは無いんだと思う。

そしてそれも、美しさだと思う。

醜いプロセスでお金を生み出すのではなく、自分の美意識を全開にしたプロセスでお金を生み出す快楽。
それこそドーパミンの放出である。

そして、もし仮に自信が無いのであれば、少しずつからはじめればよい。フィードバックシステムの存在だってフロー状態だって知識では持っているのだから。

それを肝にめいじて、センターで感じて、進んでいけばいいのだから。

あなたとやりたい

最近の流れとして顕著なのは、私とプロジェクトやビジネス、その他の活動をしたいと言う人たちが増えてきたことである。

そしてその流れの中にいて、私が肝に銘じておかなくてはならないことは、決断は私がしなくてはいけない、と言うことである。


時間は限られている。

それは、私が自分の表現したい世界を作り上げるのに時限爆弾が存在していると言うことである。


なんでも受け入れるのではなく、それだからこそ受け入れる、というスタイルを貫き通さなくてはならない。

そしてそれはある意味、交渉のようなものだ。

私の条件を認めてくれれば、私は考慮するけれど、向こうの都合だけを言われて私ははいはいと動くことはない。

それは、その共有するであろう時間やスペースに限りがあるのは、あなたにとってだけではなくて、私にとっても、であるからだ。


私は金銭的に、他の平均的な人たちが体験しないような世界を小さい頃から体験してきたと思う。そしてそれは嫌悪したり罪悪感を感じたりすることではなくて、自分のリソースとして使えばいいだけの話だ。

この罪悪感があったため、多分、10年は周り道をしてきた感がある。でも、それももう終わり。はっきりいって、とてもせいせいするし、解放感がある。


今、ようやく自分の自由をかみしめ始めた。


おとといのホーリーとの話、私にとってのメタファーだった。そして彼女は今年、中国へ帰る。

一体、私はどこへ行くんだろう。

いかに美しく

今年のキーワードは美しさだった。レーシックしかり、矯正しかり、アロマやフェイシャルしかり。髪の色やファッション、デザイン、体操、そしてコミュニケーションに至るまで、生き方としての美しさの追求だったと思う。

文章や机の美しさ、一貫性の美しさ、そこにある優雅さや広がり。催眠は私の生き方の美学であり、その原則である。それはスキルの天才性なんて陳腐なことじゃなくて、その存在性である。

年末までに実現したいこと

北の部屋のリフォーム。


生成的な場。

れいれいの居場所。

メヘンディ思索&アクションの場。

次のステップを取るための場。

2010/11/24

分からせてくれてありがとう

2010年11月23日12:38

もう少しよくなったらそう取るよ、だって。ぷっ。バカみたい。

そしてありがたいことには、あの人の結局は変わってないそういう一面を見せてくれたってこと。そちらに感謝。私の体験談はまさにこれ。あれを聴いて感動した人には分かるかも知れない。人は苦境にいる時こそ、その人の真価が問われるのだから。

私はあの話を、心と、体と、そして私の魂と繋がりながら書いて話した。涙は出なかったけど、そんな言葉じゃ足りないくらいの感情が渦巻いていた。そしてそれに感謝していた。ねぇねぇ、君、その真意があなたに分かるかな?

そう、私は決断のプロセスを旅してる。そして、その終わりのある旅は、すでに行く末が見えているよう。

長かったけど、よく頑張ったね、私。惑わしてたけど、ようやく終わりだね、君。

2010/11/23

Creating Opportunity by Jim Rohn

An enterprising person is one who comes across a pile of scrap metal and sees the making of a wonderful sculpture. An enterprising person is one who drives through an old decrepit part of town and sees a new housing development. An enterprising person is one who sees opportunity in all areas of life.

To be enterprising is to keep your eyes open and your mind active. It’s to be skilled enough, confident enough, creative enough and disciplined enough to seize opportunities that present themselves... regardless of the economy.

A person with an enterprising attitude says, "Find out what you can before action is taken." Do your homework. Do the research. Be prepared. Be resourceful. Do all you can in preparation of what’s to come.

Enterprising people always see the future in the present. Enterprising people always find a way to take advantage of a situation, not be burdened by it. And enterprising people aren’t lazy. They don’t wait for opportunities to come to them; they go after the opportunities. Enterprise means always finding a way to keep yourself actively working toward your ambition.

Enterprise is two things. The first is creativity. You need creativity to see what’s out there and to shape it to your advantage. You need creativity to look at the world a little differently. You need creativity to take a different approach, to be different.

What goes hand in hand with the creativity of enterprise is the second requirement: the courage to be creative. You need courage to see things differently, courage to go against the crowd, courage to take a different approach, courage to stand alone if you have to, courage to choose activity over inactivity.

And lastly, being enterprising doesn’t just relate to the ability to make money. Being enterprising also means feeling good enough about yourself, having enough self-worth to want to seek advantages and opportunities that will make a difference in your future. And by doing so, you will increase your confidence, your courage, your creativity and your self-worth—your enterprising nature.

私のライティングスタイル

今ほど私は加藤周一のことを考えたことはない。

彼はある意味、メタモデルとミルトンモデルとを使いこなしていた人だったんだ。

今の私のライティングは、限りなく彼の私小説を書くときのそれと似通っていることに気づいた!

ありがとう。加藤周一。

そしてありがとう。M

しょせんそんなもの?

私が心から感銘を受け、そのまま自分の人生に入れたことば。

Let me have the serenity
to accept the things I cannot change;
courage to change the things I can;
and wisdom to know the difference.


それを元に彼は書いた、一冊の本を。

その事実を私は冷静に受け止め、しょせんそんなものかも、と思った。


彼はアイデアを広めたと言う点で偉大に値する。

彼はオリジナリティがないという点で侮蔑に値する。

愛と恐怖と

ありがたい、と言っているようではまだ半人前だと誰が言ったのだろうか。

そこに恐れがないと、すべてを知っているとは言えないだなんて、一体誰が言ったのだろうか。


恐れからは何も生まれない。


それは受動性や強制、その他の多くの硬さしか生み出さない。

私が欲しいのは、広がりのある世界。

愛の世界。感謝の世界。


それは天秤が支配していると言うよりも、常に拡大している宇宙のような存在。


私はゼロサムゲームが嫌いなのだと知った。

奪うことで存在するのなら、私は自分の中の正当性を疑い始めるだろう。


そう、そこに愛は存在しないのだから。

2010/11/22

ガンガー

そして私が娘を連れてあの地へ行くことになるだなんて想像もしていなかった。

私の記憶はおぼろげで、あの灼熱の太陽に照らされていた肌のほてりと、街を包み込む熱気、あのマーケットの奥に位置していた2階の食堂で食べたあのスナック菓子の味。

時はすでに何度も流れているけれど、あのときへ戻ることはもはやない。


アフガン料理のヨーグルトのすっぱさ。ルームサービスのコーヒーの味。

コルカッタの夜に入っていたプールを照らしていた月の光と水の生暖かさ。

ボーイがこちらを見て微笑みかけていたあの瞬間。

それはすでに過去の深遠に置き去りにされ、二度と私の目の前に現れることはない。


そしてあの大河で沐浴をしている何万人にも混ざり、私もその地へ降り立つのだ。


その昔、太陽神へ向かって祈祷をささげていた彼。

そしてその光景をさげすみながら見ていた私。

時が過ぎ、お互いがその世界を放り出し、戻ってきたのはお互いの世界。

交じり合うことの無い液体は、やがて蒸気となって、この大宇宙の隅々までとどろかすのだろうか、その雄たけびを。


メヘンディに込められているメタファー。

ビンディに託している思い。

そのつぶらなまでの瞳から、あなたは一体、何を訴えたいのだろうか。


あの時はホテルの中からしか見なかった光景。

その世界と、すでに交じり合い始めた私かもしれない。


とても不思議な感覚。

流れに乗ってついていこう。


ラマンを包み込んだメコン川。そこをクルーズしていた私たち。

一粒の雨はやがて川となり、海へと繋がっていく。

その道の一筋が私とからまり、どんな世界を織り成すのだろう。


彼女の悲しみは、その涙の量では推し量れない。

それは広大な砂漠にありもしない、オアシスと一緒なのだから。

あの体験の後、ずいぶん、歳をとったようだと言っていた彼女。

私は彼女を直接知らないが、それでも私はメコンで眺めていた、あの到底変わりはしない歴史の波の流れを。


私は一体、ガンガーで何を眺めるのだろうか。

そして私の横にいる彼女は、その体験からどんな世界へ旅をすることになるのだろうか。


魂の入っていない作品は芸術ではない、と彼は言っていた。

果たしてそれが本当ならば、魂のこもっていない時の流れは、一体何に値するのだろうか。

その答えを見つけるために、私は毎日生きているのだ。

2010/11/20

私の世界

ちょっと長いこと、パーティ、パーティの写真に見入っちゃった。

その余りの世界の違いに驚いた。

そして、多分、私が死ぬほど好きな世界だけど、そこの世界に飛び立とうとしているのかが全然分からなくなった。

色々なパートがあっていいって言ってたよね。

その世界に行くために通っていく道は、一体どんな道なんだろうね!

世界を広げたい。

世界の色を変えたい。

そしてその形を変えていきたい。


20歳の時のクスコの思い出。

でも、そのときの世界はさっきのあれとはやっぱり違ったわけで。


沖縄でも結局そうだったわけで。

T とも結局、違ったわけで。


私が結局、G とは違うように、私は私の世界を生きていこう!

Think different...


今の私の周りにいる人たちは、何だかみんな、私みたい。


少し、頭の熱が取れたみたい。

心のとげも、抜けたみたい。


でも、やっぱりあの世界、楽しみたい!

私に何が増えたら、あの世界へいけるのだろう。

そう、昔から行きたかった世界。

それを、しっかり体で受け止めよう。


だからなみちゃんに連絡しようとしたのかな、さっき。

だからじゅんちゃんと会話が合うのかな、いつも。

2010/11/19

一周した後

昔、小学生だった頃、

私はとても繊細だった。人の目を気にしていた。臆病で、静かだった。内的対話も多かった。空想の世界に浸っていた。母親が嫌いだった。全然かっこよくないと思っていた。私はどうして惨めなんだろうと思っていた。人がいじめられているのを観て、本気でその人を救いたかった。陰でその子たちと仲良くした。私に火の粉が飛んできても、私は全然気にならなかった。理不尽なことは大嫌いだった。好きだった縦笛の課題は、人一倍集中して、学年で一番になった。そしてそれでも人一倍、表では静かだった。

家の商売が嫌だった。サラリーマンの家に生まれたかった。お金ですべてを解決されるのが嫌だった。人と違うことが嫌だった。何度も海外旅行へ行った。手作りのおやつを食べたかった。もっと家族で時間を過ごしたかった。きれいな家に住みたかった。自分の部屋が欲しかった。もっと私を見てほしかった。好きな洋服は、どんどん買っていた。なぜだか知らないけれど、それなりにもてていた。静かなわりに、校内放送のアナウンサーをしていた。出るくいは、打たれることを知った。初めてラブレターをもらった。デートをすっぽかした。初恋をした。学級委員をした。中学受験を適当にした。家庭教師の先生が大好きで、そして大嫌いだった。よく遅刻をした。漢字が得意だった。勉強のできる弟に母親が集中していたのが嫌いだった。私の立ち位置が見つけられなかった。一緒に住む人が時々変わった。飼っていた小鳥を餓死させてしまった。恥ずかしがりやだった。負けん気が強かった。そしてそれでも、私の中の何かはかたかった。金歯が死ぬほど嫌だった。

昔、中学生だった頃、

前よりもっと恋をした。数学が本当にできなかった。数学の先生が大好きだった。先生の家でうなぎを食べた。物理の先生も大好きだった。夏休みは毎日彼と勉強していた。おおおばさんの家に居候した。相変わらずとても内気だった。夏休みにアンネの日記を英語で読んだ。死ぬほど英語を勉強させられた。英語の成績が一気に良くなった。勉強はしなかった。昼休みの時間を友達と過ごせなかった。クラスには友達がいなかった。遠足でグループに入れなかった。高校はアメリカに行きたいと思っていた。留学カウンセラーに一人で会いにいった。軟式テニスをしていた。部長をした。校庭のケヤキを眺めているのが大好きだった。夕暮れ時に彼を待っていた。彼の住んでいる場所へ自転車で行った。

中一の春キャンプに参加した。相変わらず静かだった。中高Gに参加した。Yしか見えなくなっていた。毎日高田馬場に通っていた。人をまとめるのが好きになった。野尻で恋をした。電話をかけっぱなしだった。サラダバーの達人だった。シェイキーズばかり行っていた。早く大人になりたかった。早くステディな恋人が欲しかった。感傷的だった。理想を追っていた。現実から逃げていた。勉強が嫌いだった。学校が嫌いだった。アメリカの大学へ行きたかった。一度に何人もの人が好きだった。家族とは仲が良くなかった。ぎざぎざのハートをしていた。自分のことだけを考えていた。本を読むのが好きだった。寝るときには必ず想像しながら眠りについた。詩を書いた。歌うのが好きだった。人と自分とを比べていた。被害者意識が強かった。なぜだかすごくもてていた。

昔、高校生だった頃、

相変わらず私の世界はYだった。私がメンバーのリード役だった。まとめるのが好きだった。リードするのが好きだった。さらに多くの人を好きになった。違う世界を体験したかった。何かを変えたかった。本ばかり読んでいた。学校では勉強しなかった。焦っていた。油絵を勉強していた。活発になった。金歯がなくなった。病気になった。スランプを超えた。大声で笑うようになった。べらべら話すようになった。二つの世界を生きていた。アメリカに行きたかった。焦っていた。何をして良いか分からなかった。未来が見えなかった。過去を消したかった。家族は嫌いだった。自分も嫌いだった。自分が大好きなこともあった。きれいなものに憧れた。下の子から慕われた。年上の人たちと遊ぶのが好きだった。Yの同級生と遊ぶのは、もっと好きだった。涙もろかった。感情の起伏が激しかった。恋に落ちたかった。自由だった。お金に困らなかった。自分のことだけ考えていればよかった。能天気だった。どこかで安定のパターンを変えたかった。

昔、アメリカの高校生だった頃、

英語が全然分からなかった。辛かった。生理が3ヶ月もとまった。日本のセルフイメージとのギャップを覚えた。そのギャップに耐えられなかった。話題についていけなかった。自分が子供に思えた。友達は、みんな年下だった。家庭の環境が余りにも違いすぎていた。お金の意味を知った。お金が無い人たちの生活を知った。やりたいことはすべてやれないのだと知った。気づいたら勉強ばかりしていた。テストの点が良かった。スペイン語を勉強し始めた。好きな子ができた。ニーナのように生きたかった。プロムデートを誘った。緊張した。いい想い出になった。サマーキャンプが大好きになった。あれ程長かった1年は無かった。そしてまた夏が来た。太った。泣いた。笑った。すべてがいい想い出になった。あの時から自分が180度変わった。すべてを取り戻したかった。自分に自信がついた。アメリカがすべてだった。大人になった気がした。家族が好きになった。母親に何かしたかった。感謝した。ありがたかった。



そして、そして、そして、

私は今までのすべての経験をリソースとして、また生き始めているんだ。

そして、そして、そして、

私のコアはある意味一緒で、昔から変わっていない。

その部分に感謝しよう。その部分を受け止めよう。

それが私のミッションと繋がっていくんだ!

William Blake

なんていうんだろう、例えばやりたいことリストみたいなこと書いたとしても、その中のどれかを本当にやるときって、きっとそれをやるべくしてやっているときなんだと思う。

って、また私、いつものように、意味不明? 大多数の人にとって??

私は確かに英語との距離を縮めたかった。それは表現力の向上とかいうことではなくて、イギリス文学から多大なる恩恵を受けたR から、ある種、間接的に学んだことが多かったから。だからこそ、私はその根本の一つである文学ともう一度向き合いたかった。そう、中学生の頃のように。高校生の頃のように。

もはやマニュアルやビジネス書だとか、そんな陳腐なものだけじゃ嫌になった。

つまり、そういうもののすごさもあるけれど、やっぱり古典は古典だし、それにかなわないものが多数存在するからこそ、古典の地位を占めていられるんだよね。

そして、オーディオブックの詩の中から、まずは William Blake とか、American Poetry とかを大人買いした。その無意識下のプロセスのスムーズなこと!

即日届いたCD の一つを車でかけ、私はその壮大な海の中を泳いでいた。

いつものストーリー性の強いCD でないことに気づいたれいれいは、すぐさま、「これって英語?」と尋ね、私はうなずきながら、静かにそれを彼女と聴いていた。あの時、私たちは遥かかなたのイギリスへと旅していたと思う。そして一つずつの言葉の織り成す世界を堪能していたのだと思う。

それは言葉の世界であり、音の世界だった。映像の世界であり、過去の記憶や未来の光。

私はすぐさまトランスに入った。

そしてこういう形でのインプットが、今の私に本当に必要なのだと知った。


ロンドンで観たマクベス。ボストンで観たハムレット。


Wing で初めて接したシェイクスピア。マクベスを初めて読み、ソローやスカーレットレターへと続いていったよね。


そしてそれは、谷崎や尾形光琳へと続く道。


何だか私、ちっとも変わってないんだね。

2010/11/18

ちょっとしたお誘い

「行く?」って軽い言葉だけれど、それが必要以上に重い意味を持つことってあるよね。

今朝、あそこにいたときにかかってきた電話。その時点ですぐに話題になっちゃうような話題(笑)。

で、私なりの意味づけをし、その場を急いで離れて電車に飛び乗り、行った先が表参道。

駆け足で入り、かなりのサプライズがあったけど、無事試験に合格。

ふ~(rain風に 笑)。

私って案外できるじゃん! みたいな。

ちょっと自信になっちまった、って感じかな。

で、その流れでお誘いが来た。かなり想定外!

でも、私はどこかで誘おうと思ってたからね。

そして、それに飛び乗る私。いつもみたく(笑)。

この軽さ、どこから来たんだろう??

結果、思わぬ展開に話が進んでちょっとびっくり。

何だかこれが最近の流れみたい。

いやぁ、でも本当にサポート求められること、多くなったよね。


でもさぁ、あの場所で、私の髪のこと、話題に出したの、彼だけだったしぃ。

皆さん、ちょいまじめすぎない???

ちょっとジェネレイティブフィールド、試してみようか!

2010/11/17

何にフォーカスするのか

時にぶれることもある。

時に不安な気持ちでどうしようもないこともある。

でも、それでも前に歩いていこう。

そこに何かがあるのが分かるから。

私がニューコードやエリクソンを勉強したのは、一体なぜなのだろう。


あの質問。いない人から選ぶのではなくて、いる人から選びなさい。

そして私がそう決断することで、私の行動パターンが変わるのだから。

流れにのってあの地へ出かけていきます。

そしてそこに何も無くても、私は必ず何か見つけて行きます。

私は follower でなくて、 trend setter になりたいのだから。

少しくらいくじけても、仮に大きくくじけても、私はやり続けるのだから。

そこに道を開いていくのだから。

「志」のデザイン

【ぷち仲め~る】志のデザイン 2010年11月4日20:44


日曜日は、山形の東北芸術工科大学で、「全国高校デザイン選手権(デザセン)」の審査員をやってきました。


デザセンとは、高校生を対象として、

 ・社会の様々な問題を解決するためのアイデア
 ・世界中に笑顔の数を増やすための素敵なデザイン

を競う大会です。


17年も続いている大会で、今年は過去最高の500チーム以上がエントリー。

1次審査は、500組の企画書(パネル)を体育館にズラーーーーっと並べたものを審査員が全部見て、決勝大会に進む10組を選びます(これが9月半ば)。


そして、決勝大会(10月31日)。

優勝したのは、有田工業高校(佐賀県)の「男も見守る携帯アプリ ウームメン」。

胎児の情報が、ケータイで受け取れるので妊婦への気遣いや、パパになる心の準備ができるようになるというアイデアです。

佐賀県の中絶率が全国ワースト1で、発表者の母親が産婦人科医であることからの発想。

地元を何とかして元気にしたいという高校生(しかも男子3人組)の純粋な想いに、大感動でした!


山形新聞の記事→ http://bit.ly/bMy4C0

 ※ぷち仲のことを「クリエイター」と  くくってくれています(嬉)。



ちなみに、準優勝の「まくら投げのススメ」。

これは、単に「思いっきり枕投げをやったら楽しいんじゃないか」ということで、

「スポーツ枕投げ」のルールや技

を考えてきたものをプレゼンしていて、そのクオリティが高くてウケていました。

実際、自分たちで遊んでみて編み出したルールや技だったので、ホントに面白かった!

(逆に言うと、頭だけで考えたと思われる企画は 見劣りしたのでした。)


なお、

この学校は静岡の温泉街・伊東の高校なのですが、審査委員長の小山薫堂さんコメントでは、

 「地元の旅館を元気にするためのまちおこし」としての想いがアピールされていたら、企画としてさらによくなりそう

とのことでした。


ぷち仲、枕投げのプレゼンを見ながら、

「楽天に出店している枕メーカーさんやふとん屋さんの協賛で、全国予選とかもできそうじゃない?!」

と思ったり、

「楽天トラベルの施設さんを会場にするとか?!」

などと妄想していたのでした。


だれか、耐久性の高い「スポーツ枕」を開発したり、「枕投げ選手権大会」に協賛してくれないかな~?!



それにしても、

たくさんのアイデアを見比べると、やっぱり「想いに共感できるもの」に惹かれるのが人の常だと思った次第です。


見られているのは、「志」のデザイン。


商売も一緒なんでしょうね~。

お金をもらうためにすること

経費と言う名のお金をもらうために、今、さくっと資料を作り上げた。

創造性と、ユーモアのセンスと、いろいろなスパイスをちりばめながら、言語レベルで私の作品を創り上げた。

その間、約15分。

それによって、入ってくるお金は16万5千円。

つまり、時と場合により、何千円だとか、何百万だとか、何千万になる世界。

でも、そこで大事なのは、金額の大小ではなくて、このサイクルの意味するところ。


少なくともお金においては、人生つまるところ、こういうものなんだと思う。

それは助成金をもらったり、節税するときもそうなのだけれど、


1.情報収集し、人に助けられつつも、自分の頭を使ってシナリオを立てる。

2.行動する。

3.結果を待つ=お金を手にする。


このサイクルの仕組みが分かれば、そしてこの通りに行動すれば、お金がないなんてことは無くなる。

少なくとも、私の場合は。

まずは最初の1歩から

そしてさらに行動に移した今日。

電話して、スケジュール調整。

そして、chad に告白! びっくりしてたけど、知らなかったから。
で、彼からも告白!! 頑張ってるんだ。 何だか距離が縮まった。

でも、それは彼からのアクションがあったから。

そして次に、私がアクションを取った。

結果は芳しくなかったけど(笑)、そういう意味づけはあえていたしませんから(笑)・・・

で、omiya の真の正体が今、分かった! 超びっくり。

何で私、確認しなかったんだろう。 


なんだかすごく微笑ましい感じ。ちょっと心が痛むけど(笑)。


この先、どうなるんやろね。


DTI の後に待っていたもの、それは、優雅さに映える金髪の美少女だった。

そして詩の世界へと飛び立とう

昨日、車を運転している途中、聴いていたあのDVDを突然ストップした。

そう、私が聴くべきは、そして私が本当に聴きたいのは、あんなチープなコンテンツなんかじゃないんだもん。


昨日のプレゼンをされたとき程、私は相手が痛々しく思う瞬間は無かったかも。

うーん、分かるかな。プレゼンって、コンテンツよりもっともっと大事なことがあるんだよ。
もっと私を見てよ。私の声を聴いてよ。

自分が伝える前に、もっともっと繋がって欲しかった。私と、その瞬間に。

そしてそれがないのに話だけされることの無意味さを、あれ程思い知るなんて思わなかった。


that was bullshit.


この間のチャーリーとの話でも偶然出たプレゼン。

そしてあの彼もそこに関わってるだなんて!


it's a small world after all....


さっきtsutaya でミルの詩集をさらっと見た。

言葉の世界に入り始めたかも、私。


今朝、れいんが拾ったあの magic wand。そしてあれを使って二人で旅した魔法の世界。

その世界をこれからどうやって作っていこうかとっても楽しみ~! 

alchemy + music

朝のスタバでのディープトランスは面白かった。

前に広がるあの自然の景色を前に、ちょっと広げるだけで、ちょっと深めるだけで、これほど頭から離れて体と繋がるんだなんて驚き!

そしてその驚きはどうやって分かりますか(真ちゃん風に 笑)?


そう、それは、新しい「ちょっとした」行動を始めている私を第3ポジから見たとき。

そしてその行動の結果、新しい結果になっている風景をリアルに見たとき。


トランスの意味が分かりかけてきた。

そしてそこからまた繋がっていく I don't know...


これをスティーブが言っていたのかも。


さっき、偶然、スティーブからのあのメールを発見した。

grieve it and accept it...


あれをもらったときは、私がしていなかったことかも。


スティーブ、心配いりません、私は元気ですから(笑)!

2010/11/16

とうとうした決断!

決断というか、無意識と意識が繋がった感じ。

とうとう。 メールを送ってしまった!!!


それは昨日から続いていて、ついさっき、メールを送った。

というか、向こうからメールが来ていて、それを私は招待状ととったので、すぐに行動に移した。


超楽しみ~~~!

strange, strange, strange...

未来はやっぱり今に向かってくるのかも。

去年のこの日のこと。

今年のこの日に起きたこと。

すべてが繋がってるのかなぁ。


さっき書いたブログ。

今日したこと。

今、偶然し始めたこと。


これほど意味があることってあるのかなぁ。


ちょっと行動レベルで別のオプションを選択してみようかな。

2010/11/15

予期せぬ時間

久しぶりにあの感覚を味わった。そしてそれは突然訪れたのだけれど。

あの40分間の最初と最後のすべてを覚えている感じ。
二人ともすでに何度も経験しているあの準備をしてたのかなぁ。

少なくとも、私はね。

最近で一番ステートチョイスが難しかった時間だった。

そしてそれは、ある意味待ち望んでいた時間だった。

なんだかそういうことって、突然降ってわいてくるんだって思った。

その意味もメタファーもそんなことは全然関係なくて、ただ味わっていた、あの時間。あの空間。

あの緊張感を。あの静けさを。


言葉自体のコンテンツではなくて、言語のスイッチに意味があったんだと思う。

やっと気づいたその現実。

それは私たちの歴史であり、私たちの物語を象徴していると思う。

どちらからともなく、ううん、私はそれにゆだねていたのだから、ただカリブレートしていただけ。

何かの瞬間にスイッチが起き始め、それと同時に、言葉に意味があるものは、その言葉がついて出た。

3度も出た「うらぎり」という言葉。

あれって、アンカーされちゃったね。そしてそれに大きな意味を持たせたよね、私。感謝。


その前の日に渡された紙。あれは効いたね、かなり、確実に。

言われたとおりの毒牙に包まれた私は、あの幻想の世界を旅し始めたのかも。

私は意図的にあそこに座り、その偶然の流れに乗った。

そして私は静かに儀式を終了し、その祭りの終わりの余韻に浸っていた。

第一声は勇気が必要だったけれど、その後の流れは必然だったんだろうなぁ。


小さな女の子は、とうとう刀を持ったんだ!

これこそ私が求めていたもの。

一つが終わり、またもう一つのものが始まった。

これこそが、ヒーローズ・ジャーニーなんだろうなぁ。


言語の共有は、それ特有のラポールを生むと思った。それは私たちを開きつつ、それと同時に隔離してくれる世界。

そしてその言語で経験した世界にアンカーされている私は、その言語に特異の意味をも見出してしまっている。


だからあえて最初はあれで始まり、途中から変化したんだと思う。

何が反応したのかは分からないけれど。


待っているときの私は、17歳の私だった。


そして席を立ち、ドアをすり抜け、深い呼吸とともに、歩んだ。一歩、一歩。


緊張が耽美的な快楽に変わる瞬間だった。

言葉の無い世界。リズムだけの世界。

その余りにも短い時間は、永遠にも感じられたなぁ。


あの後の会話ほど意味を成さない会話を私は知らない。

そしてそのことを二人は知っていたと思う。


あの5秒の空間の、最初の1秒がたった後に感じた体を流れた電流。

通電しちゃったじゃないよ。


そしてドアを開け、新たな世界が始まったっけ。

何事も無かったかのように。

されどすべてが変わってしまったかのように。


これほど自分をさらけ出し、これほど自分を隠してるのってとても変。

死ぬほど渡りたい河なのに、その河におぼれる私が見えているよう。


それは殉教者の旅に続く道。


最初に見たのは後姿。

次の出会いは偶然だった。

そして次の世界は繋がりだった。

この先の広がりは、一体どこに繋がるんだろう。


salut, my unconscious competence.

2010/11/11

ラブレター

言葉の力を感じさせてくれてありがとう。

その臨場感のすごさを認識させてくれてありがとう。

あんな思いにさせてくれてありがとう。

時はたつのに、その時の長さを感じさせないでくれてありがとう。

読むたびに、今までのいろいろなことを思い出させてくれてありがとう。

言葉は言葉でしかなくて、されど言葉以上のものなんだと教えてくれてありがとう。

その冷徹な仮面の裏に、あそこまでテンダーなハートを持つことができると教えてくれてありがとう。

過去も未来も分からない中で、今にフォーカスすることの素晴らしさを教えてくれてありがとう。

死ぬ前に後悔しないああいう恋愛を体験させてくれてありがとう。

タフな私にしてくれてありがとう。

広がりのある私にしてくれてありがとう。

体の声を聴きたいだなんて思わせてくれてありがとう。

その存在のすべてを受け入れる人の一番最初の人になってくれてありがとう。

浅い夢

昨日の「束の間の夢」の後、明け方近くに夢を見た。

知っている外国人達と、胸に突き刺さる言葉と感情。そして、トレードの平和的終焉と。

あの続きを見たかったけれど、自分にとってのメタファーは分かった。つもり、少なくとも。

昨日、やっぱり私は「体の声を聴いた」んだ!

ありがとう、みんな!!

束の間の夢

2010年11月10日19:41

さっき見えていたのは、ハワイ島の砂浜。満天の夜空。暖かい風。自然で体中を一杯にしたい。もしかしたら、マルボロでの日々は、自然と一体になっていた時なのかもしれないな。それでいて、頭でっかちだった時。もう少し、深く呼吸したかったなぁ。

愛を経験すると、愛のなさが分かるのだと知った。強姦された気分と広がる愛は一緒なのだろうか。私はそうは思わない。慈しみ深き、友なるイエスは、罪とが憂いを、取り去りたもう。

私の世界に存在していた神。そしてそこから飛び立っていった私。そこを飛び出したら、一体、何があるんだろう。今日、深い河を観たいなぁ。

体の声を聴いてみよう。今、この瞬間の。

2010/11/08

Ai を見習って

この間のイリウスを一緒に見てから、彼女のある部分をモデリングしようとした。

そしてたった今、そのアクションを取った。

なるほど、こういうことか!

メールの威力

文章が人を泣かすことができるってことの驚き。確かに...

動画にかかる資金力を考えた場合、確かに「文章力」のみにフォーカスすることの必然性。効率性。

立ち読みの本からもこれほど強いメッセージを受け取ることができるなんて、なんてありがたいんだろう!

thanks, dr. tomabechi:)

2010/11/03

伝統と普遍 from Designing Design

このところ、友人が相次いで谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」の再読を勧める。ひとりは作家の原田宗典で、もうひとりはプロダクトデザイナーの深澤直人である。深澤はデザイン誌に書評を書き、原田はごていねいに文庫本までくれた。ふたりがともに印象を語ったのは「羊羹」のくだりである。羊羹というものは暗闇で食べる菓子であると谷崎は指摘する。日本家屋の薄暗がりの中で食すので羊羹は黒い。陰翳に溶けても形もさだかではないそのかたまりを口にふくむとこのうえなく甘い。その感覚が羊羹という菓子の本質であるという。その着眼にこのふたりは各々に感銘を受けたらしい。もちろん、個々の読み方は微妙に違っているが、双方共通してそこを褒めた。学生時代にこれを読んでいたので、話を聞いたときには、ああ、そんなことが書いてあったなぁ、という程度の印象しか持たなかった。しかしあらためてこれを読み返して気づいたことがある。これは日本的な感性に対する優れた洞察でもあるが、デザイナーとしての現在の自分には、むしろ厳しい西洋化を経て到達し得た日本デザインのコンセプトブックに見えたのである。それは、もしも日本が近代化を「西洋化」という方向で行うのではなく、日本古来の伝統文化に近代科学を受胎させ進化させることができたならば、おそらくは明治維新を経た日本とは全く異なる、そして西洋に対して向こうを張れるユニークなデザイン文化を生み出せていたのではないかという発想である。照度の強すぎる西洋近代のあかりの下ではなく、陰影の中に展開していく日本的デザインの可能世界をひも解いて見せるのが『陰翳礼賛』 なのである。これが書かれたのは70年前だが、優れた着想は古びない。おそらくは今日においても谷崎の仮説は有効である。これをデザインの書として読むならば、僕らは日本の伝統文化のその先に、これまで経験したことのない未知なる現代性を開花させることができるはずである。

僕はアンチ・グローバリズムの観点からこの文章を書いているのではない。また、日本ローカルの美点を世界にアピールしようとしているわけでもない。既に活発に交流をはじめて久しい今日の世界に向かって、個別文化の独自性をことさら主張するのはナンセンスである。ただ、世界の普遍的な価値に寄与できる日本の冴えた側面を自覚していくことには意味があるはずだ。日本に生まれたデザイナーとして、静かに自分の足もとを掘ることに僕は意識を傾けたいのだ。それは別の言い方をすると、もう少し自分のルーツを知りたいということなのかもしれない。世界に出て行くたびに、逆に日本への思いはつのり、またその文化をきちんと体現し得ていない自分をもどかしく思う。その思いがどこかに通じたのか、近ごろは日本の独自性を今に伝える場所や文化、そしてそれらを担っている魅力的な人々と出会う機会が増えた。

Designing Design by Kenya Hara

やっぱり私は普通のカウンセラーが読むような本は好きではなくて、こういった本たちが大好きだ。

そこには言葉が織り成す世界の広がりを感じることができる。

明確な定義が科学的な形でされているのではなくて、言葉たちがとても詩的に連なっている。

そこは、エリクソン催眠で久しぶりに私の形而上に上ってきた感覚が満ち溢れている。

私はオブジェクトでデザインをするというより、言葉でデザインをするのが好きなのだと認識した。

そしてこれからの自分を表現するのに、大切な指標になることに気づいた。