2010/11/25

私への弔辞

今日、この場にいらっしゃる方々は、みな胸に色々な思いを抱いて集まってこられた方々だと思います。
ふと周りを見回して、自分とはずいぶん違う感じの人たちもいるんだなぁ、と思っていらっしゃる方、あなたはあっていると思います。生前の彼女は、常に変化を好み、類まれなるコミュニケーション力を用いて、様々な分野の、様々な職種の方々と親交を持っていました。それは決して国や地域の境に分断されること無く、人間の持ちうるその創造性や調和をベースにした、常に広がりのある世界でした。

彼女は常に先を見続け、それと同時に、今この瞬間をも生きている人でした。争いのあるところには調和を、絶望には光を照らす人でした。彼女は決してクリスチャンではありませんでしたが、彼女の自我が育っていく過程において、キリスト教の果たした役割は大きかったのかもしれません。そして後に仏教徒となった彼女は、以前にもまして慈悲心や調和を求めて日々、鍛錬されていました。

その笑顔からは想像もつかないような困難に出会われたときも、彼女は一時たりともその笑顔を崩したことはありません。涙を見せないその深い悲しみ、それを私は初めて見たように思います。

彼女は常に自分の成長、そしてそれと関連して世界の創造の場を生成しようとしていました。人を変えるのではなく、自分が変わる、そしてそれによって周りがどう変わるか、それを楽しんでいたのではないでしょうか。

彼女が全ての生をかけて築きあげてきた世界を、皆さんは今、体験されていることと思います。それは人間関係や目に見えないソフトなものであるかもしれませんし、例えばあのプロジェクトや建物、もしくは開催された国際会議などかもしれません。それが何であれ、その根底に一貫して流れているのは、彼女の人間に対する愛と敬意です。慈しみの心です。許しです。

それはまるで雄大な河の流れに包まれている一人の人間の様かもしれません。その流れをとめようとするのではなく、体全体でその流れに身を投じ、優雅で美しい踊りを待っている少女のようなのです。

私たちは、彼女の舞いを一生覚えているでしょう。それは、その流れに続いている小さな渦や泡の数々を、私たちが忘れることはないからです。