このところ、友人が相次いで谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」の再読を勧める。ひとりは作家の原田宗典で、もうひとりはプロダクトデザイナーの深澤直人である。深澤はデザイン誌に書評を書き、原田はごていねいに文庫本までくれた。ふたりがともに印象を語ったのは「羊羹」のくだりである。羊羹というものは暗闇で食べる菓子であると谷崎は指摘する。日本家屋の薄暗がりの中で食すので羊羹は黒い。陰翳に溶けても形もさだかではないそのかたまりを口にふくむとこのうえなく甘い。その感覚が羊羹という菓子の本質であるという。その着眼にこのふたりは各々に感銘を受けたらしい。もちろん、個々の読み方は微妙に違っているが、双方共通してそこを褒めた。学生時代にこれを読んでいたので、話を聞いたときには、ああ、そんなことが書いてあったなぁ、という程度の印象しか持たなかった。しかしあらためてこれを読み返して気づいたことがある。これは日本的な感性に対する優れた洞察でもあるが、デザイナーとしての現在の自分には、むしろ厳しい西洋化を経て到達し得た日本デザインのコンセプトブックに見えたのである。それは、もしも日本が近代化を「西洋化」という方向で行うのではなく、日本古来の伝統文化に近代科学を受胎させ進化させることができたならば、おそらくは明治維新を経た日本とは全く異なる、そして西洋に対して向こうを張れるユニークなデザイン文化を生み出せていたのではないかという発想である。照度の強すぎる西洋近代のあかりの下ではなく、陰影の中に展開していく日本的デザインの可能世界をひも解いて見せるのが『陰翳礼賛』 なのである。これが書かれたのは70年前だが、優れた着想は古びない。おそらくは今日においても谷崎の仮説は有効である。これをデザインの書として読むならば、僕らは日本の伝統文化のその先に、これまで経験したことのない未知なる現代性を開花させることができるはずである。
僕はアンチ・グローバリズムの観点からこの文章を書いているのではない。また、日本ローカルの美点を世界にアピールしようとしているわけでもない。既に活発に交流をはじめて久しい今日の世界に向かって、個別文化の独自性をことさら主張するのはナンセンスである。ただ、世界の普遍的な価値に寄与できる日本の冴えた側面を自覚していくことには意味があるはずだ。日本に生まれたデザイナーとして、静かに自分の足もとを掘ることに僕は意識を傾けたいのだ。それは別の言い方をすると、もう少し自分のルーツを知りたいということなのかもしれない。世界に出て行くたびに、逆に日本への思いはつのり、またその文化をきちんと体現し得ていない自分をもどかしく思う。その思いがどこかに通じたのか、近ごろは日本の独自性を今に伝える場所や文化、そしてそれらを担っている魅力的な人々と出会う機会が増えた。