それなりのことを成し遂げた人が言うことば、それが、「それほど大変じゃなかった」。
でも、その人があまり多くを語りたがらないのは、実際時が過ぎてしまえば、いい想い出に過ぎないから。
その時は死ぬほど大変で、毎日毎日どうすればよくなるのか考えて行動して、悩んで泣いて。
そういう色々なことをこなしながら、それなりの形を作っていき、そして結果、その人の実績となる。
そして時間がたてば、想い出はセピア色になるもの。
あれ程辛いと思ったNorth Dakotaでの日々だって、夏が秋になり、冬になり、そして春が過ぎやがてまた夏が来たとき、私は多くの思いを胸に日本へ帰国できた。
そう、帰国した瞬間から、私の悪夢はばら色の想い出に変わったのだから。
英語も、トレードも、結婚生活も子育ても、すべてがそういえる気がする。
体当たりでぶつかっていって、その過程には優雅さもきれいさも何にもないかも知れないけれど、終わらせることができた人にしかかもし出せない優雅さだって後で出てくるのだから。
シンプルさを追求できる人は、複雑さの美を体験して、その上でシンプルさを選ぶことをした人だけだと思う。
何もないところからシンプルさの美なんて生まれない。
それはカオスの中、グロテスクなまでに全てが混ざり合ったものの中の光り輝くものなのだから。
「どうやってやったの?」って聞くのは簡単。
そしてそれに対してさらっと答えが返ってくるけど、真実は、その答えの、その人の表情の裏側にある。
そこまでカリブレーションすることでしか、本当のことなんて決して分からない。
スペインのシッチェスで眺めた地中海のきらめきが、今の私のイメージかな...
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