2009/10/08

澁澤榮一

http://skyalley.exblog.jp/12078180/ より


こんな人 求む!   /『孔子』 渋沢栄一著 


『孔子』 渋沢栄一著  三笠書房 1995 より

 
 子曰、君子喩於義、小人喩於利  [里仁篇]

     子曰く、君子は義に喩(さと)り小人は利に喩る



君子と小人とはその心ばせがまったく違う
君には事に臨んで、それがはたして正しいことか、
道理に合っているかということを考え、
それを行動の判断基準とした。
すなわち道義に従って行動した。
これに反して小人は常に私利私欲を考え、
万事につけて利害を目安に行動する。
すなわち利益にさえなれば、
たとえそれが道義に反することでも、
いっさい無頓着だ。

このように同じ物を見、同じ言葉を聞いても、
君子はこれによって道義を行おうと思い、
小人はこれによって儲けようと思う。
その思想には天地の差が生じ
その行為もまた雲泥の差が出てくるのである。

私はどんな事業を興すにあたっても、
またどんな事業に関する時でも、利益本意には考えない。
この事業こそは起こさねばならない、
この事業こそは盛んにしなければならないと決めれば、
これを起こしこれに関与し、
あるいはその株式を所有することにする。
私はいつでも事業に対するときには、
まず道義上から起こすべき事業であるか
盛んにすべき事業であるかどうかを考え、
損得は二の次に考えている。

事業を新たに起こし、またこれを盛んにするには、
たくさんの人から資本を集めなければならず、
資本を集めるには、
事業から利益があがるようにしなければならないから、
もとより利益を度外視することは許されない。
利益があがるようにして事業を起こし、
事業を盛んにする計画を立てなければならないが、
事業は必ず利益をともなうものとは限らない。

利益本意で事業を起こし、これに関与し、
その株を持ったりすれば、
利益の上がらない会社の株は、
これを売り逃げしてしまうようになって、
結局
必要な事業を盛んにすることも何もできなくなるものである。

だから私は国家に必要な事業は利益のいかんを問わず、
道義に従って起こすべき事業ならばこれを起こし
その株も持ち、実際に利益をあげるようにして、
その事業を経営していくべきだと思っている。
私は常にこの精神で種々の事業を起こしこれに関与し、
またはその株を持っているので、
この株価は上がるであろうからと考えて、
株を持ってことは一度たりとてない。


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渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日
現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれた
家業の畑作 藍玉の製造・販売養蚕を手伝う一方
幼い頃から父に学問 の手解きを受け
従兄弟から本格的に「論語」などを学んだ

一橋慶喜に仕えることになり
一橋家の家政の改善などに実力を発揮し
次第に認められていった
27歳の時
15代将軍・徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学
欧州諸国の実情を見聞し
先進諸国の社会の内情に広く通ずることができた

明治維新となり欧州から帰国
1873(明治6)年に大蔵省を辞した後
一民間経済人として始動
「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)を皮切りに
東京ガス 東京海上火災保険 王子製紙 秩父セメント
帝国ホテル 秩父鉄道 京阪電気鉄道 東京証券取引所 
キリンビール サッポロビールなど
多種多様の約500の企業設立に関わった

また
東京慈恵会・日本赤十字社・癩予防協会などの社会公共事業
一橋大学・早稲田大学・二松学舎大学・国士舘・日本女子大学
東京女学館などの教育機関 約600の設立・支援に尽力した
関東大震災後の復興のためには大震災善後会副会長となり
寄付金集めなどに奔走した

三井高福・岩崎弥太郎・安田善治郎・住友友純・
古川市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と
大きく異なる点は
「澁澤財閥」を作らなかったことにある
「私利を追わず公益を図る」との考えを生涯に亘って貫き通し
後継者の敬三にもこれを固く戒めた
他の財閥当主が軒並み男爵止まりなのに対し 
澁澤一人は子爵を授かっているのも 
そうした公共への奉仕が早くから評価されていたためである
1931(昭和6)年11月11日 91歳の生涯を閉じた

彼は豪農の長男として生まれた
私腹を肥やすこともできた
しかし そうはしなかった
なぜか

『論語』が彼の座右の書であったから
道徳と経済を合一させられたひとだという
そしてそれを実践しおおせたひとだという
そんな人が実在したのだ

こんな「心ばせ(心馳せ: 心遣い)」の君子を 
今 
求む!
いなければ
育てねば!!

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