2010/05/25

友達がいるということ

ニューコードを勉強するという形式をとるまでは、露骨に友達の存在を否定していた。

それはアクまでもgive & take な存在で、私に用がなければ、絶対に声はかけない。

声はかけられることがあっても、私に何らかの思惑がなければ、そこへは行かない。

友達の結婚式には行ったことはない。

一人で、何でも一人でする自分になってしまった。

そしてRが出現し、単に一人が二人になっただけで、その世界の狭さをある種の安定と勘違いしていた。

and the time has passed...


それはもしかしたら、中高G のときの反省かも。

時に極端すぎる私は、あのノースダコタへ出発する前の約4年半の今となっては素晴らしい体験の連続を、何らかの形で打ち消そうとしていたのだから。

まぁ、それじゃぁ、無意識も反発するよなぁ。

それにしても約17年間、よくやっていたよなぁ。あの世界で。


歌を忘れたカナリアは
裏のおせどに埋めましょうか。
イエイエそれはなりません
象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮かべたら
忘れた唄を思い出す


ふと口ずさんだ「歌を忘れたカナリア」。

私へのメタファーだったんだ。