私がcalculus をアメリカで勉強した意味が唯一つあるとしたら、それのメタファーを最近、どこででも感じていてとっても不思議。
それはとにもかくにも、limit のこと。
0.000000000000000000000000000000000000000000...1 の世界と、0 の世界はあくまでも異質だけれど、異質とはいえないかもしれない世界のこと。
今までの私は、その異質性にばかり目を向けていたけれど、今はその共通項に目を向けようとしている感じ。
そう、それは、まるで右脳が実は左脳で、左脳が実は右脳だと言うこと。
そしてそれこそ、私が目指している世界。エリクソンの世界。
deframing の世界。
脱アイデンティティの世界。
yokohama の時代。
明治の時代。