2010/06/03

「NLPとセラピスト」から

http://hagiwara.dreambox.sunnyday.jp/?cid=36916

 昨日、セラピストとして大活躍している友人と食事をしました。この1年足らずの間で何百人ものクライアントを救っている彼が自分のセラピーについて話しているのを聞きながら私は彼の中で、数多くのセラピーのテクニックが整然と並び、それがツリー図のように整理されている様子が見えるような気がしました。(これをNLPではチャンクと言います)

 「できる人になる3分間マネジメント」の中にも書きましたが、天才的なセラピストは自分の中にツリー図のように整理されたあるあらゆるテクニックの中から1人のクライアントを救うために「コレがだめならアレ。アレでもだめならソレ」といった風にトライ・アンド・エラーをくり返すと書きました。
このように、しつこく目的を達成するまで試行錯誤をすること(NLPではTOTEと言います)によって、本来の目的であるクライアントを救うという結果を達成し、また自分のツリー(チャンク:テクニックあるいは選択肢の引き出しと言ったら分かりやすいかもしれません)を洗練させ、精度をあげることができるのです。
 実際彼は1回のセラピー・セッションで優に5時間以上かけてクライアントに接しています。このような地道な(しつこい)努力を続けながら、どんなクライアントが来ても、一つの雛形をむりやり当てはめることなく、柔軟に対応し、結果を出しているのです。

 この目標達成に対する姿勢は、ビジネスは勿論、人生のどの段階でも活用できるし、また活用するべきものです。拙著の中では、目標設定、しつこさ、そして柔軟性こそがNLPの本質だと書いていますが、まさにこのことです。
 
 セラピストではない私から見ても、この友人の解決へのしつこさ、結果を出すための柔軟さには本当に頭が下がる思いでした。

 さて、NLPとは、グリンダー、バンドラー両氏が、主に天才セラピスト達をモデリング(癖なども含んだ意識的、無意識的な行動パターンを模倣すること)することによって、本人以上に卓越した結果を出せるようになり、何が彼らを天才たらしめたのかを分析することから始まりました。
 
セラピー経験がないに等しい両氏がエリクソンなどの天才セラピスト等をモデリングすることによって、本当に卓越したセラピストになってしまった、というわけです。驚いた2人はその魔法みたいな現象を分析し、それがNLPの基礎となったのです。

 「できる人、、」の中で私は、NLPはセラピーだけのものではない、今だったらビル・ゲイツのモデリングによってNLPが誕生したかもしれない、と書きました。これはグリンダー博士が「セラピストのモデリングでNLPが創始されたのは歴史上の偶然以外の何者でもない」と書いていたこととも同調しますし、私は今でもそう考えます。しかし、正直言って、昨晩この友人を見て、少しその確信が揺らぎました。

 彼を見ていて思ったのは、統語失調症やうつのクライアントという、最もコミュニケーションを取るのが難しい人たちとラポール(信頼関係、心のつながり)を取り、心を開かせることができる能力がコミュニケーション能力の最難関レベルであり、その最高レベルのコミュニケーション・パターンを分析し引き出すことによって、ビジネスその他でも使える実践的コミュニケーション心理学であるNLPが生まれたのではないかということです。

 つまり、NLPがコミュニケーションに関するものである限り、やっぱりセラピストでなければならなかったのではないだろうか?ということです。

 多くのセラピストはそうだ、そうだ、と言うでしょう。

 一方、NLPユニバーシティのロバート・ディルツ氏はセラピストだけではなく、ダヴィンチ、モーツァルト、シャーロック・ホームズなど、アーティスト、しかもすでにこの世にはいない人たち、さらにはフィクション上の人までモデリングし、そこから引き出した行動パターンを本に書いています。

 そうすると、やっぱりセラピストである必要はなかったのか?

 しかし、グリンダー氏はディルツ氏のモデリングはNLPのモデリングとは違う、もっとレベルの低いものだと言っています。

 と、完全に混乱した状態のまま、私はディルツ氏主催のNLPユニバーシティに行くのです。

 3週間の間にこの疑念を晴らしてきたいと思います。

 また一つ、今回のコース参加にあたっての目標が増えました。

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何だか私もこのNLPUに参加したいな。