2011/03/16

過去5日間の私の行動に対してのフィードバックと自分の分析力について

地震直後 2011年3月11日金曜日

友達と一緒に品川にいたことから帰宅難民。
この時点のステートは、まったくもって、私の理想としているリーダーシップ像とは異なり、「自分がいかに早く、安全に、自宅に帰ることができるか、また、関連家族の安否確認にフォーカス」されていたことだ。

フィードバック:
ロイホ滞在中、「私たちはラッキーだったよね」という安易なコメントではなく、なるべく現状に基づいた「現状認識」そして「そこから論理的に導き出される分析」の収集に努めるべきであった。

しかし、このときの私の行動は、「ただいかに温かい中で時間をつぶすか」であった。携帯や固定電話から通話が非常に困難な状況であるとの認識はすでにあったのだから、そこに限られたリソースをフォーカスさせるのではなくて、第2、第3の選択肢を論理的に順次取るべきであった。


帰宅後また翌日以降の行動 2011年3月12日土曜日

この4日間の行動について一貫して言えることは、「自宅が安全だったため、多方面からの正確な情報分析を怠り、偏った意見のみを盲目的に取り入れ、自分中心の考えで、やみくもに屋内待機を前提とした備蓄品の収集につとめた」ことだ。特に、放射能汚染を視野にいれ、しかしその理論的根拠は薄かったにも関わらず、ステートを崩しながら、論理性を欠いた行動を取り続けた。


内面の変容とそのプロセス

なお、感情面に関しては、今まで自分の根底にあった自虐史観をベースとした「日本=悪」という考え以外の可能性を取り入れ始めた。特に、この非常事態下における日本人の規律他の行動は、外国人からすると驚きを通り越して感嘆に変わっていくのを個人的な友人関係の中に見出したことが、私の中の統合につながった。

また、事前に何度も読んでいた公共政策の本やインタビューなどを通して得られていたイメージは、10日の日のJちゃんとの熱い会話を根底にしつつ、アメリカの学部生活前後のときからある意味変わっていない自分の使命と繋がってきた。

1998年にCSへキャリアチェンジしたのも何かの縁であれば、1992年にクロースアッププログラムを中心としてアメリカ政治の中心に触れ、1997年の沖縄の米軍問題のときにワシントンやボストンへ渡り、ペンタゴンやハーバードへ入ったりしてその際の記者や通訳になったりなど、そういう経験のすべてが今、私の中で明確に蘇ってきた。

そういう過去のリソースを振り返って思うのは、今後の進路としてのHKS はかなり有効で現実的な選択肢となるということだ。 


フィードバック:
計画停電などの可能性はあったが、しかし、安全な中でのネット接続が可能だったのだから、できうる限りの情報収集をすべきであった。また、単純にテレビだけを見るのではなく、多方面に渡る専門家の意見を聞くべきでった。


論理力、分析力、仮説力をうたっている大前研一ならどのように現状を分析するのだろう?

http://www.youtube.com/watch?v=U8VHmiM8-AQ&feature=player_embedded


私の立ち位置

学部時代、あれ程、大学院進学を勧められていたのに、それを選ばなかった自分がいた。そしてその代わりに、「現実的」と思える選択として、コンピューター・サイエンスを学びなおし、お金の世界にどっぷりつかった。ついこの間までの約10年間。

その間、世界は変わり続けていたが、自分のフレームワークは固定したままだった。

あの時は、アカデミズムに対しての自分のフレームワークが余りにもずさんだった。その枠組みを自ら破壊/創造することを選ばなかった。そう、チョムスキーを見てみるがいい。MIT という箱の中で、しかし HKS の生徒たちとも政策に関して積極的に議論し続けているではないか。論理を振りかざし、妥当な情報を振りかざし、そこに分析力を加えることで、あのような議論ができているのだ。そして、「出現する未来」のセンゲも然り。科学者でありつつも、その限界を超えるのは創造力や想像力でしかないことを、彼らやアインシュタインからはすでに学んでいるではないか。

そうなのだ。私は、いくらNLPや催眠を学んだところで、そこから個人セッションやカウンセリング、もしくはセミナー講師の道をイメージすることはできない。

それよりも、やはりガンジーやジョブズなど、何かもっと大きなものを構築するエネルギーになっていたい。

私のメタファーの引用は、心理学系やカウンセリング系の文献は皆無に等しく、それよりも、社会科学系や、ビジネス系などに偏る。つまり、それが私が好きな分野なのだ。


うん、それでいいじゃん。

もう、素のままでいいじゃん。

自分が本来、欲しているものを、それが一番輝く形で、世の中に一番よい方法で、やり続けていこうよ。