2011/03/04

私の仮説

大前研一は、すでにアメリカは終わったと見ている。だから彼は、もうアメリカには何年も行っていない、だとか。そしてそういう彼の行く先は、VISTA や BRICs だって。

でも、そんな彼に反論。

ネットの普及で、その大元を作り続けているアメリカの影響は、以前よりもっと強く、全世界にわたると思う。それは、「憧れ」という形や「洗脳」という形をとるかも知れない。

つまり、「英語」というグローバル言語や「アメリカ文化」というマスカルチャーは今後、更に台頭すると思う。それは、ある意味、我々を包み込む、一つのフレームとして。

そして、もちろん、Lynette いわくの、作用反作用の法則も然り。つまり、更なるアメリカ化は、リージョナライゼイションも同時に生み、そこから統合が始まるのだと思う。

つまり、共通言語としてのアメリカ化があり、そうは言っても、私たち、オリジナルでしょ、違うでしょ、のアイデンティティの表現の場としての地域化/個別化。

この2つを上手く手なずければいいだけの気がした。

そう、どちらかだけではない世界。

そのどちらもが、常に存在する世界。

そうなんだ!


"Michael Porter on Competitiveness"  を観ながら
http://www.youtube.com/user/HarvardKennedySchool#p/c/2D6B70531F08CA81/12/y5I_cnpP99U