2011/03/07

ガンジーはなぜ

ずっと昔観た、ガンジーの映画。

弁護士だった彼が、どうしたらインドの独立を勝ち得たのだろうか。

いな、彼が勝ち取ったのではなく、彼のメッセージに同意する国民たちが、なぜ独立を勝ち得たのだろうか。

そこにあったメッセージは一体、何だったのだろうか。


彼は多分、一人きりでも歩いていったのだろう。

隣を歩む人がいなくとも、彼の行為の意味を世界は分かりかねていたかもしれないけれど、それを全身のすべてで分かっていた彼は、だからこそその歩みを止めなかったのだ。

日照りの下でも、強風の中でも、彼は歩き続けた。

そしてその彼を見て、彼の歩んだ道を確認し、それから少しずつ、彼と共に歩み始めた。多くの者が。


私はそこに、美しさを感じる。


それが学問の名の下に存在していなくても、世界は彼を認めざるを得なかった。


そして彼の言葉に耳を傾ける。

彼の視線の先に、目を落とす。

まだ見えないものを、人々に見せたことが、ガンジーの偉大さなのだ。

まだ見えないものを、人々に信じさせたことが、ガンジーの偉大さなのだ。


そう、世界は変わる。変えることができる。


22歳の私にもう一度、伝えたほうがいいのかもしれない。


そう、世界は変わる。変えることができるのだ。


15年も時は流れ、今の真っ只中にうずもれてきたけれど、頭を少し上げてみたら、あの頃の自分がはっきりと見える。


そう、世界は変わる。変えることができるのだった。


成田経由のフィリピン行きを待っていたとき、フィリピン人のメイドを妊娠させ、中絶させたと豪語していた名前も知らないアメリカ人と口論した22歳の自分。

先が見えなくても、ただ自分の思う理想に向かってがむしゃらに走り続けていた22歳の自分。

すべての真は自分の中にあるとただひたすら思っていた22歳の自分。


そう、今、思い出したのだ。

世界は変わる。変えることができるのだと。