ずっと昔観た、ガンジーの映画。
弁護士だった彼が、どうしたらインドの独立を勝ち得たのだろうか。
いな、彼が勝ち取ったのではなく、彼のメッセージに同意する国民たちが、なぜ独立を勝ち得たのだろうか。
そこにあったメッセージは一体、何だったのだろうか。
彼は多分、一人きりでも歩いていったのだろう。
隣を歩む人がいなくとも、彼の行為の意味を世界は分かりかねていたかもしれないけれど、それを全身のすべてで分かっていた彼は、だからこそその歩みを止めなかったのだ。
日照りの下でも、強風の中でも、彼は歩き続けた。
そしてその彼を見て、彼の歩んだ道を確認し、それから少しずつ、彼と共に歩み始めた。多くの者が。
私はそこに、美しさを感じる。
それが学問の名の下に存在していなくても、世界は彼を認めざるを得なかった。
そして彼の言葉に耳を傾ける。
彼の視線の先に、目を落とす。
まだ見えないものを、人々に見せたことが、ガンジーの偉大さなのだ。
まだ見えないものを、人々に信じさせたことが、ガンジーの偉大さなのだ。
そう、世界は変わる。変えることができる。
22歳の私にもう一度、伝えたほうがいいのかもしれない。
そう、世界は変わる。変えることができるのだ。
15年も時は流れ、今の真っ只中にうずもれてきたけれど、頭を少し上げてみたら、あの頃の自分がはっきりと見える。
そう、世界は変わる。変えることができるのだった。
成田経由のフィリピン行きを待っていたとき、フィリピン人のメイドを妊娠させ、中絶させたと豪語していた名前も知らないアメリカ人と口論した22歳の自分。
先が見えなくても、ただ自分の思う理想に向かってがむしゃらに走り続けていた22歳の自分。
すべての真は自分の中にあるとただひたすら思っていた22歳の自分。
そう、今、思い出したのだ。
世界は変わる。変えることができるのだと。