避けるだけが人生ではないのだと、昨日、悟った。
ガンジーの話を書きながら、待っていたメールをもらった。
その瞬間、大いにセンターは崩れ、私がガンジーなら一体、どういう行動を取るか、いや、行動の前に、どういうあり方をするのだろうかと考えた。
そしてすぐに、考えるのではなくて、自分のセンターとつながりながら、スティーブの4 steps を実行した。
私の中で、最後にHちゃんとワークしていたときに、ずっと横にいたスティーブを思い出した。そしてそれと同時に、私にどうしても伝えなくてはならないことを、一言も残さず伝えていたスティーブを思い出した。
大阪での6日間は、結局は、私が次のステップに移っていたことを伝えるには十分すぎるものだったのだ。
適当な笑いで済ますことのできないその人生のステージ。そのステージの橋渡しを、スティーブがしてくれたのだと思う。
それは他の人が、簡単には言ってくれないことだった。
そしてその伝え方は、簡単に無視するには余りにも大きすぎるくらいのメッセージだった。
ガンジーの非暴力主義とは、一体、何だったのだろうか。
その先にインドの独立があったように、私にとっての統合があるのだろうか。
そう、ついさっき、森の木々の根に守られている石は、空を飛ばないのだと悟った。
その代わりに、時の変化を、その場所から、じっと見つめ、他者にメッセージを伝え、時の移ろいのなかにいるのだと知った。
新しいパターン、ここにあり。