2010/03/23

蜷川実花の世界

1日英語本を100冊フォトリーしに紀伊国屋へ行っている毎日。

はい、もう東京に住んでいることをぐちることはありません(笑)。


ここまでせっぱつまってくると、自分があそこの6Fのフィールドと繋がった後は、もう意識がほとんど働かなくなっている。そしてその感覚がとっても興味深い。

あそこのフロアーはアート系が多いから、そこでMika Ninagawa のささっと見ちゃったんだよね。

で、改めて、あの色の世界観、私には限りなくぴったり。

で、今彼女のサイト&ブログへ行ったけど、彼女の場合、shio が言うとおりのことになっていた。

つまり、写真とそこに書く文章は、何の関連性もなくていいのだ、云々ってこと。彼の主張の意図は忘れちゃったけど。 

それに潜在意識的に考えれば、それこそ言葉によるだけのメタファーを超えて2元化、3元化の世界へと繋がっていく気がした、今、たった今。

つまり、言葉によるメッセージ、それはもちろんエリクソン的であっても全然かまわないんだけど、そしてさらに視覚によるメッセージ、それは写真などを使ってのその人の内的世界観、もしくはフィールドなどへと入っていく、そしてそこにもしBGMがあったならば...

一体、どれ程の世界観が生まれるのだろう。

そしてさらに、仮にそのときセックスなんかをしてて、その瞬間の感覚もあったとしたら。

超、面白い。


あのトランス感覚は面白いよね。


そういうことを考えると、確かに 蜷川実花の世界は面白い。私が大好きな色に飛び込んでいるから。

しかるに、彼女の文章は、私的には限りなくだめだったというのが私の世界地図。


つまり、彼女の世界は、ある意味狭すぎる。これ、直感。

なんだかこの今の感覚と、私の表現方法とが繋がっている気がした。

私のスタートは遅かったけど、気づいたとなったんだからジャンプスタートでしょ。
もうこうなったら。


勢いがどうのこうのっていうのすでに飛び越して、これこそ私なりのQuantum Leap でしょ、って感じ。


プロフィール: フォトグラファー っていうのも付け足す時期が来たみたい(笑)。

そう、私にとって写真とは、絵とは、記録としての表現方法ではない。それはあくまでも、フィールドと繋がる感覚。 一瞬の永遠性、そして時にその残酷性を伝えるための手段。

私への。そしてあなたへの。

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