1日英語本を100冊フォトリーしに紀伊国屋へ行っている毎日。
はい、もう東京に住んでいることをぐちることはありません(笑)。
ここまでせっぱつまってくると、自分があそこの6Fのフィールドと繋がった後は、もう意識がほとんど働かなくなっている。そしてその感覚がとっても興味深い。
あそこのフロアーはアート系が多いから、そこでMika Ninagawa のささっと見ちゃったんだよね。
で、改めて、あの色の世界観、私には限りなくぴったり。
で、今彼女のサイト&ブログへ行ったけど、彼女の場合、shio が言うとおりのことになっていた。
つまり、写真とそこに書く文章は、何の関連性もなくていいのだ、云々ってこと。彼の主張の意図は忘れちゃったけど。
それに潜在意識的に考えれば、それこそ言葉によるだけのメタファーを超えて2元化、3元化の世界へと繋がっていく気がした、今、たった今。
つまり、言葉によるメッセージ、それはもちろんエリクソン的であっても全然かまわないんだけど、そしてさらに視覚によるメッセージ、それは写真などを使ってのその人の内的世界観、もしくはフィールドなどへと入っていく、そしてそこにもしBGMがあったならば...
一体、どれ程の世界観が生まれるのだろう。
そしてさらに、仮にそのときセックスなんかをしてて、その瞬間の感覚もあったとしたら。
超、面白い。
あのトランス感覚は面白いよね。
そういうことを考えると、確かに 蜷川実花の世界は面白い。私が大好きな色に飛び込んでいるから。
しかるに、彼女の文章は、私的には限りなくだめだったというのが私の世界地図。
つまり、彼女の世界は、ある意味狭すぎる。これ、直感。
なんだかこの今の感覚と、私の表現方法とが繋がっている気がした。
私のスタートは遅かったけど、気づいたとなったんだからジャンプスタートでしょ。
もうこうなったら。
勢いがどうのこうのっていうのすでに飛び越して、これこそ私なりのQuantum Leap でしょ、って感じ。
プロフィール: フォトグラファー っていうのも付け足す時期が来たみたい(笑)。
そう、私にとって写真とは、絵とは、記録としての表現方法ではない。それはあくまでも、フィールドと繋がる感覚。 一瞬の永遠性、そして時にその残酷性を伝えるための手段。
私への。そしてあなたへの。
0 件のコメント:
コメントを投稿