2010/03/17

お金のある学生でもいいんじゃない?

今、約10年ぶりに、Harbor Point Apt の写真をみた。

1BR のフロアープランや写真も見たけど、まったく同じでびっくりした。

でも、ちょっぴり感慨深かったな。

もしかして、もう一度ボストンへ戻れば、タイムマシンに乗れるとでも思っているのかな。

でも、まっ、いいか、私の自由な発想をベースにすると、できないことなんて何もないんだもん。


あの頃から、私の意見は変ってなかったよね。

本当に研究したいのなら、まずは勉強したい人が rich になるべきだって。

だって、grant もらうのを優先すると、それで研究テーマがフィルターにかけられちゃうんだよ。

これって tied aid みたい、ODA とかの。


そして少ししたら、Richard Lewontin の名前、思い出した!

そうだよ、感覚が戻ってきた。 あの zoology lab の匂い。テーブルの配置のされ方。


あそこにいた人たち、超頭よかったよね。

で、その中に、インターンの彼がいて。

すごいよね、イギリス文学のために渡米したのに、ゼロから突如スタートした分子生物学でHarvard にいるんだもん。

あの戦略的思考、もしくは、解決型思考は、すさまじいパワーを感じたんだよね。

稲妻のよう。


で、今のこの状況も、それがあるからこそ、起こったことなんだ。

それをリフレーミングするなら、そのパワーの大元を思い出しなさいっていうメッセージかな。


For what? To let go? To let others realize the power of freedom? the existence of infinite possibilities?


それまで evolutionary biology も molecular biology も、聞いたことなんてなかったもんね。

Susan、元気かな。 バブーンの研究、どうなったんだろう。


Lewontin の著作、がんがん読んでみよう。


今、Lewontin の探したら、3冊あった。


その中の1冊の「遺伝子という神話(原題:Biology as Ideology)」。

抄録には、こう書いてあった。


社会や人種の不平等は宿命ではない。
遺伝子が個人の能力を決めるはずがない。
世に流布する「遺伝宿命論」の正体は何か? 
遺伝にまつわるさまざまな誤解をとき、人間の可能性を豊かに展望する。


今、一瞬、大粒の涙が流れそうになった。


「神話」だって。

「人間の可能性」だって。


私ボストンにいたとき、どうしようもなく閉じてたんだね。

で、私は開いている人だから、やっぱりまた、ボストンに戻らなきゃいけないんだね。多分。


そして彼がよく話していた Stephen Jay Gould。

2002年に亡くなってたんだ。

今、何冊か借りたけど、時間が過ぎたことを感じずにはいられないね。

人はやがて死ぬ。そしてそのことを意識していればいるほど、今の生に意味が見出せると思った。


そしてなぜだかフリッチョフ・カプラ。Fritjof Capra.

どうしても気になる人なんだろうね。


wikiから、「現代物理学と東洋思想との相同性、相補性を指摘した1975年の『タオ自然学』が世界的なベストセラーとなり、その名が広く知られるようになった。」


そう、だからボストンにはMITもあるんだよね。センゲもいるくらいだし。


やっぱり私の研究は、いつも思うけど、全然実践的ではないよね。なんか学問的というか、私の趣味の範囲を超さないというか。

でも、それでも沖縄の論文がそうだったように、私はそれがいいんだよね。


お金を得るのはトレードかもしれない。でも、そこに最大限の自己成長の意味付けをしない限り、私には取り組むことができなかったんだから。


それだったら、前のPlan の時と同じように、とことん研究テーマを考えてみればいいじゃない。

フィリピン経由で沖縄へ行ったときと同じように。

そう、あの時も、台湾と香港へ行ったでしょ。ただただ前に突き進むだけだったけど。


あれでいいじゃない。あれがいいじゃない。

持って生まれたものがあるとしたら、あれが私なんだもん。


まえに直が言ってたけど、本当にお前は夢が大きいよなって。

多分、前からかもしれない。

何で人は夢を見る前に、できないって思っちゃうんだろう。


私、時々頭がおかしいのかって思うときがあるよ。


でも、ジョンたちの受けてステートマネジメントする習慣がついたことで、
私の生き方、しっかりしてきたみたい。

ぶれないよね、最近。

堂々としているよね、最近。

何の根拠もない自信に満ち溢れているよね、最近。



ようやくボストンがセンターレベルで繋がってきたよ~。

今思い出したら、去年からだよ、Cheryl や Teresa と繋がってきたのも。

そして、CTP のMike や Selena とも。


目をつぶると、ゆったりとした光や雪の結晶が、上からひらひらと落ちてくる感じ。

私の全体を包み込みながら。


Harvard Sq. のあのレンガの道、Coop のカフェ、Masoba、すべてが見えてきた。

Greenhouse Cafe も行かなきゃ。れいれい連れて。


そう、過去は変えられるんだ。


前とまったく同じ状況でないにしても、その時に、その場所で、私が成し得なかったこと。

もしそんなものがあれば、もう一度その場所に戻って、異なるコンテクストになってしまったかもしれないけど、それでも congruency や resonance さえ感じられれば、それを行動に移せばいいだけ。

一番大事なのは、センターレベルでの感覚だろうな。

そして今、私はボストンでの日々を思い出すにつれ、自分のセンターとの繋がりがさらに深まっていくのを感じているよ。


とうとう、Plan 2 の幕開けかも。

Lynette にrecommendation letter 書いてもらおうか。

アメリカで練習していたピアノの楽譜、出てきたよ。

和音がでてる。基礎になる。歌を歌いながら弾ける。


取っていたボーカルレッスン。

ステージでのパフォーマンス。


彼、聴いていてくれたよね。イタリア語の歌。


あの日、あの時、あの場所で君に出会わなかったら
僕らはいつまでも、見知らぬ二人のまま...

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