2010年3月17日11:56
私が本来、訪れるべき場所は、ハワイじゃなくて、ボストンだったんだ。今、気付いた。
でも、多分、この気付きは、一年前にハワイに滞在しなきゃ分からなかったことだったんだろうな。
そして、今のような彼との関係がなければ、決して分からなかったこと。
calling って、こうやってみると、私を少しずつ導いていたみたい。とっても不思議。ゆっくりと、今の場所に流れついて来たんだなぁ。
二年前にボストンへ行こうと言われた時には、センターレベルで拒否してた。言い訳なんて山のように出てたけど、やっぱりそれが言い訳だって、そんなの人が気付くのに時間はかからないよ。
去年の秋にフィリピンへ行ったのも、全然偶然じゃないね。だってあれから全てが一気に動きだしたんだもんね。仏教徒なのに、ファザーに告白しちゃったしね。
今、生きていられるって、そして人間として生を受けることができたって、広い川の中から砂金を拾い上げる位に珍しいことなのかもね。
カルカッタのあの子供たちをオベロイの窓からみたから、スモーキーマウンテンでゴミを拾うしかない子供といたから、私の中に何かが芽を出しちゃったのかもしれないね。
インドにいつ行こうかな。
そうやって、一つ一つ、リフレーミングしてるんだね。自分と周りにとって一番いいときをカリブレーションしながらね。
私のことだから、このリフレーミングだけは、時間のかからないチェンジワークでだけはしたくないんだね。
だから時間をかけて、一歩ずつ、それぞれの場所を訪れているんだね。そして、体験面でのリフレーミングと、内的な、自然と沸き起こってくる過去のリフレーミングを、同時に行ってるんだ。
こういったプロセスを時間をかけて行う以外に、私は選ばなかったんだね。それは、もしかしたら、特に意識で選んだアウトカムの主体的な放棄だったかもしれない。それでも、私は何をするか、そしてそれを実現するためのプロセスでさえ知ってたんだ。何かを達成するには代償がある時の方が多いんだろうけど、それはまたリフレーミングする時が来るね。やがて、そしていつかまた。
私のコアとコーリングが段々繋がってきたね。やっとね。
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