2009/09/02

「学習する能力」 ピーター・センゲ

言語の生成力


1927年、ウェルナー・ハイゼンベルクは、「我々は世界を測定するときに世界を変えてしまう」と主張し、古典物理学界に衝撃を与えた。彼は、不確定性原理を唱えることで、それまで100年間哲学者達が徐々に理解できるようになっていった「人間は何が本当に現実であるかを決して知ることはできない」という考え方に、ハードサイエンスの信頼性を付け加えた。


哲学者達は「部分の最優先」や「自己は他から隔絶された特性を持つ」といった硬直した立場を持つ世界観を、「素朴実在論」と名づけた。この世界観では、「現実」を「私たちの認識の外側にある与えられた実体」ととらえ、「言語」を「外の世界にある現実を記述するために使う道具」とみなす。しかし、我々は「外の世界にある」ものを本当に知るための現実的な方法をまったく持っていない。自分が見ているものを明確に表現しようとするときには必ず、自分達の使う言葉と自分の直接的な経験との間に相互作用がおきる。我々が引き出す「現実」は、この相互作用から生まれてくるのだ。


「素朴実在論」に代わる世界観は、コミュニティで共有されているものの見方や意味づけの伝統のもつ生成的な役割を認識し、この伝統こそが我々の持っているものすべてだと認識することだ。



「現実の世界」についての多種多様な解釈に遭遇したとき、どれが「正しい」のかを決める代わりに、究極的に「正しい」解釈というものは存在しないと認識した上で、多様な解釈をそのまま受け入れ、その中から特定の目的のために最も役立つものを探し出すことだ。また言語を、独立して存在している現実を描くものとみなす代わりに、自分の経験を新しく解釈しなおすための力、そして、新しい現実を引き出すことを可能にするかもしれない力として認識することだ。


この「言語の生成力」を忘れると、すぐに我々は地図と現地を混同する。そして、驚きや不思議さを感じる能力を奪い、新しい解釈や行動の可能性を探ろうとする力を封じてしまうほどの「確実性」を身につけてしまう。最終的に自己防衛的になるような価値観の根底には、そんな硬直化した保守性がある。


我々が物事を理解するとき、その理解が偶然に左右されるものであることを忘れると、自分自身と自分の信念・見解とを混同してしまう。自分の信念を批判されたとき、あたかもそれが自分自身への攻撃であるかのように感じて防衛するのはそのためなのだ。

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