明日(あす)の行方も知らない
羊達の群れ
都会の闇に彷徨い
身を守るだけ
娼婦(はな)が無情に散った日も
顔を背けるようにして
傷ついた者だけを
置き去りにした
街の灯りに佇む
欲まみれの亡霊
笑みを浮かべた狼が
手招きしてる
飼い慣らされた僕は
一人じゃ立てそうもない
川は流れ ただそれを
見つめるばかり
淋しくて 淋しくて
魂(心)に 死化粧
忘られぬ面影が
逝くなと呼び止める
愛し合う悦びを
もう一度かみ締めて
この頬を濡らすのは
熱いひと筋の涙
人間(ひと)はあてなき旅路に
疲れ果てたまま
己れの仕掛けた罠に
堕ちてゆくのね
幼き日見た夢が
全て嘘と言うのなら
世の中は裏表
何故か教えて
階段を下りるように
沈む夕陽を見て
やるせない運命(さだめ)だと
言うのは易いけど
生まれくる子供らに
真心を伝えて
この胸に響くのは
母の大切な言葉
淋しくて 淋しくて
魂(心)に 死化粧
今は亡き面影が
泣くなと呼び止める
愛し合う悦びを
誰かと分かち合い
この命燃やすのは
赤い血の如き涙
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桑田は「闇の子供たち」を見て、そして私のようにあの映画に共鳴して、この「現代東京奇譚」を映画のために書き下ろした。
私はただただ呆然と泣くことしかできなかったのに、彼はあのメロディと共に、この歌を創り上げ、映画を見終わった人々に、語りえないほどの感動をエンディングに与えた。
その違いは何だろう。
そして桑田が私にこの「歌」を通して送ってくれた、私の無意識が察知してしまったメッセージは何だろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/tubameyo/56656476.html からの抜粋だけれど、
何か具体的なものを指し示したり、
それを告発したりという歌詞ではない。
ただただ、人間の悲しい性を、
切ないバラードで歌い上げる。
だが、
その底流には、幼児愛者、児童買春、臓器売買
・・・そう言うものへの強い抗議の意思が流れているのだ。
以前から、桑田佳祐のことは、下ネタ連発の面白い
ひょうきんオジサンの、マスコミ向けの顔とはまた違った
曲がった事の嫌いな、正義感の強いアーティストとして、
浅からぬ敬意を抱いていると、何度も述べているが、
この曲を聴き直して、あらためてその意を深めた。
余談ながら、
映画「闇の子供たち」は、バンコク国際映画祭では、
主催者側の都合で、上映中止となった。
映画や桑田佳祐の歌声が告発するものが、
「過去形」ではなく、「現在進行形」のものであることが、
思いもよらぬ形で、白日の下に晒し出されてしまったのである。
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