2009/09/03

「やらなくてもいいのに」と言われても

俳優業を愛して愛してやまない人が、いくら映画出演料が莫大になって一生働く必要がなくなったとしても、その人の一生をかけて追求していく情熱は、果たして消えうせてしまうだろうか?


監督業や他のジャンルにもその情熱はその人を向かわせるかもしれないけれど、果たしてそれがその人の真の情熱を追いやってしまうだろうか?


私が自動売買でなしえたいものはなんだろう?


仮にSQN5以上のシステムを稼動したとして、何十億ものお金が入ってきたとして、それは私の情熱と、そして私のプロセスと、一体、何の関係があろうか?


今、「自動売買」と打とうとして、「児童売買」と出てきてしまったというエリクソン的事実。


私の無意識は、すでに何かを見つけてしまったのかもしれない。


だからこそ google books で Stephen Gilligan と検索したら、 women survivors of sexual abuse が出てきてしまった。


そう、私の行動の結果は、あくまでも中立的な結果でしかない。


そこに意味を見出すのは、私の無意識。


無意識の追求は、まるで私の淡々としたトレードプロセスのようだ。

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