本気になって1年半、ようやくトレードがメタファーと思えるようになってきた。
トレーダーとしてのサクセスは、自分にニューコード的生き方、つまり、Know Nothing States に入る方法を体に教え込んだことの結果なのだろうな。
これができてあれができない、っていう either A or B の世界ではなくて、 これができるからあれもできる、 っていう A and B の世界。そういえば、一番初めに出たNLPの授業で意識と無意識との違いをアラスタが教えてくれていたとき、こういうこと言っていたな。これほど1年が濃かったのも、初めてかも。もしかしたら、North Dakota での1年以来かも。
それを考えると、A ちゃんが言っていた、お茶ではできるのに、これはできない、っていうことが起こっていないな、私の場合。私は、構造的に、もしくは、プロセス的に同じことであれば、他のコンテンツでもできてるよね。その違いは、一体、何なんだろう。
血肉化しているのかな、私の場合。トレードって、遊びじゃなかったもんね。幾夜も眠りながらチャートを頭に描き、泣きたいほど心が揺れるときでも、やるしかないから、必死で付いていった。あれだけの損切りを、目の前に朗らかに楽しむ家族を前にして、ステートを一切変えずにやり通した。一瞬にしてトレンドが逆行しているのをその場で見ている私は、呆然として、そのままステートが崩れ、どうしようもなくなった経験も何度もあった。その反対に、再度ステートを建て直し、結局、流れに乗って大勝ちしたこともあった。つまり、これこそ、経験知なのかもしれないね。
やっぱりトレードを趣味としてとらえなかったってことが、一番なのかもしれない、このメタファーが出来上がったという意味は。
もはや人に評価されるからやりたいっていうレベルを超えているよね。
途中、A とのことや、 R、Q とのこと、本当にいろいろあった。トレードを通して、自分の新たなアイデンティティを育てていき、家族や夫婦関係を再構築し、ミッションを意識し始め、夢を見始めた。新たな器も作り、その中にいたこともあった。交際関係は広がり、そして新たな世界が広がっていった。
つまり、トレードは私に色々な可能性を体感させてくれたんだよね。それは、いわゆるゾーン状態に自分のステートをする、っていう、内面的な可能性の拡大ということだけではなくて、外の世界での自分の立ち居地の広がり、つまり、その可能性の広がりをも意味していた。
レバレッジを肌で感じ、ステートが100%だということ、しいては、circle of Excellence の言う posture & breath の大切さが身にしみた。
なんだか、突っ走ってきた1年半だったんだな。
そしてこれは、私が引き寄せた結果。
今までがこうだったから、ということではなくて、これからこうするという力強い決意。それをする時期が、とうとう来たね。次の誕生日を前に。
なんだかそのためにフィリピンへ回帰するのかね、Rain と。
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