2009/09/13

カルロス・カスタネダ

http://d.hatena.ne.jp/tritune/20090910/1252508428 より

「呪師(シャーマン)に成る―イクストランへの旅」

本書は、1974年、ニューエイジ・ムーブメントの吹き荒れる真っ只中の米国で出版され、ベストセラーにもなった比較的古い書籍の日本語訳です。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ニューエイジ


 内容はと言えば、著者のカルロス・カスタネダがヤキ・インディアンの呪師(シャーマン)であるドン・ファンに弟子入りして、シャーマンの成るための修業の様子を描いたというまさに科学万能主義、理性主義といった心身二元論に対して、その二元論を超える試みである、人間の本能への回帰やエコロジー思想をうたったカウンター・カルチャー全快の内容とも言って良いでしょう。

 本書で非常に興味深いことは、主人公のカスタネダがシャーマンに成るためにドン・ファンと一緒に荒野に出て、ドン・ファンや大自然との対話や知覚からやってくる氣づきを通じて、シャーマンに特有な知覚、身体感覚、行動、習慣、文化といったことを無意識のレベルで学ぶことが重視されている点でしょう。

 これは、現代において、頭を使い、目先の作業に追われ、大自然との相互的なかかわりも無く、ひたすらパーソナル・コンピュータに向かい続け、場合によっては「現場」が矮小化されて一般化された現実感の感じられないデジタルな情報だけを処理している仕事とはある意味対極にあるというようにも思えてきます。  

そして、何より重要な点は、本書全体を通じて、「我々の世界(観)は注意(Attention)により保たれている」という思想が根底に流れていることでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/tritune/20090307/1236351629

つまり、我々が見たり、聞いたり、触ったりしている世界は、我々が経験などから自分自身が自然と体系化した「物事の枠組み」によって浮き上がった世界観だというわけなのです。  



 もっと言えば、我々が今見ている世界はあくまでも自分自身の世界観というフィルターを通して見る世界観であり、このフィルターがなくなってしまうと、その世界は完全に流動化したものとなってしまうというと示唆でもあるでしょう。

http://tritune.seesaa.net/article/115289928.html

 逆に、世界をありのままに見て、シャーマンとして必要な知覚、身体感覚、行動を身につけるためには、本書でドン・ファンが示唆しているように、自分自身の知覚、認知、概念に関するフィルターを全て落して「世界を止める(Stopping the World)」、そして、知覚から氣づいていくことが必要だということになるでしょう。  

 余談ですが、NLP New Codingの、「Know-nothing State」は、まさに本書の「Stopping the World」から持ち込まれているわけですが、NLP New Codingの創始者であるグリンダー氏とディロージャさんは、あくまでも当時ニューエージ・ブームの流れを見てそれなりに知名度のあったカスタネダの「Stopping the World」を持ち出し、このもとになっている現象学における、「現象学的還元」や「エポケー」を持ち出さなかったのは良い意味でも悪い意味でもある種のセンスなのでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/tritune/20090302/1235919618

http://d.hatena.ne.jp/tritune/20090521/1242831625  

 そのようなわけで今日の結論は、知覚からの氣づきを重視するシャーマンは、内部対話を止めて、周辺視野を使っていままでのフィルターを落して、『世界を止めて』純粋な経験に戻ると共に、その状態で内部対話の無い、純粋な知覚や身体感覚を介して無意識からのメッセージ受け取る技術を身に付けた者ということになるのでしょう。  


 結局、NLP New Codingで言う無意識との対話というのは、『世界を止めた』その状態の知覚からしかやってこないということが良く分かってきます。



 その意味では本書は、NLPの隠れた原点と言えるようにも思えます。


======== コメント =============


Bateson から色々なところを派生して、「深美意識」からアーノルド・ミンデル、そしてそこからケン・ウィルバーやカスタネダまではすでにフォトリードしている今、こういうコメントを読むと、私の意識の部分にすごい勢いで入ってくるのが分かる。


結局、New Code NLP とは、ということになって、それはジョンより前の、つまり、先人達がある意味、当たり前としていたことである。それはトランスやゾーンとも呼ばれ、色々な分野でそれを頂点にして、人々が修行というか、切磋琢磨していることである。


何も目新しいことはなく、経験でやっている人からしたら、わざわざそれを意識下で学んでいるということ自体が、ある意味、こっけいに思えてくるんだろうな。


なんだか私がトレーダーとして始めたこの3年半て、そして、本気で始めたこの1年半て、私の体に New Code NLP を体感させるためにあった気がする。


お金がどうのこうのとかいうことではなくて、そのもっと下の、そしてもっと広いところにある部分を、私の無意識が察知してトレードを通して教えてくれていた感じ。


多分、私はトレーダー以上の存在なんだろうな、って今、すごく思う。

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