流れはいつも一気にくるとは限らない。
でも、川の流れと一緒で、ひとたびある流れが生まれそこに勢いが重なると、その流れを変えるのは難しかったりする。
裁量トレーダーにとってのトレードチャンスとは、何らかのインディケーターが「その流れが生まれた可能性が高いよ」と意識に教えてくれるまで待っていることではない。むしろ、その流れが生まれるほんの少し前の風のふき方の違いを肌で感じたり、においの変化を嗅ぎ取ることだ。
それは無意識の働き方に似ている。どうしてインディケーターが「何かより確実なもの」を示す前に、私の直感、もしくは無意識がそれを察知できるのか? それはマーケットの「微妙な変化」をカリブレーションできるからである。
そしてこのカリブレーション能力なしには、裁量トレーダーは失格である。というか、多分、そこまで稼げないで終わるのが関の山だ。
私にとって、趣味でファンダメンタルズを理解したり勉強したりするのは面白いかもしれない。でも、この世の中に絶対なことはないように、多種多様な人種が関わることは、やはりアノマリーは発生する。
それが起こりうる確率が限りなくゼロに近かったかも知れないけれど、決してゼロにはならない世界なのだ。だからこそ、私は長期投資より、デイトレの範囲内、そしてそれは時に分単位のスキャルピングをも意味するけれど、「今、その瞬間にマーケットで起きていること」をカリブレーションして、何の前提もなしに柔軟にそれに対応することが好きなのだ。
私はマーケットの流れの変化が大好きだ。全参加者の集団心理か無意識か、そんなことはよく分からないけれど、何かが一つのものとして動きながら、それを構成している者たちの意図も働いて。そういうものが渦巻いているマーケットの流れに深く、広く身を沈め、姿勢を正し、静かに呼吸し、ラポールを取っていく。
そうすると、まだ見えない動きが、肌で感じられるようになってくるのだ。
別にチャートを凝視していなくても、というか、そんなことはほぼ絶対に必要なく、仮に他の作業をPCを使ってしていても、周辺視野でチャートを見ていれば、必要な情報が入ってくるのだ。
こんなこと、誰も言ってないよね、本じゃ...
でも、トレードでコンスタントに勝つ一つのテクニックだよね。
少なくとも私は、今の自分のトレードスタイルに心底、陶酔してしまう。これ程美しいトレードスタイルはあるかしら?
画家にピカソやガウディやルノワール、クレー、色々な人たちがいるけれど、音楽家にもショパンやリスト、バッハらがいるけれど、私って何派かしら?
今、私はどんな音楽を奏でているんだろうね。
昔、代ゼミで描いたあの油絵の抽象画を玄関先に飾ってから、私のトレードプロセスがようやく無意識と呼応し始めた気がする。
あの絵のメタファーって何だろう。私の無意識は、いったい、何を感じ取ってしまったのだろう?
microcosmo
どこまで広がっていくんだろう...
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