
http://shiology.com/shiology/2009/09/1762-090906-6f8.html より
今年のshioゼミ夏合宿も昨年に引き続きディベート。
トピックはふたつ。
「脳死を人の死とすべきである。」
「非嫡出子の相続分を嫡出子と同一にすべきである。」
各トピックについて、3回ずつ、ディベート。
「脳死を人の死とすべきである。」
第1試合(1日目夜):肯定3班、否定1班、ジャッジ2班
第2試合(2日目朝):肯定2班、否定3班、ジャッジ1班
第3試合(2日目夜):肯定1班、否定2班、ジャッジ3班
「非嫡出子の相続分を嫡出子と同一にすべきである。」
第4試合(3日目朝):肯定3班、否定2班、ジャッジ1班
第5試合(3日目夜):肯定2班、否定1班、ジャッジ3班
第6試合(4日目朝):肯定1班、否定3班、ジャッジ2班
回を重ねるごとに、立論の内容や反駁のしかたなどがうまくなっていきます。
ジャッジを経験することで、ディベートの評価ポイントが見えてきて、それを反映して自分たちのディベートを組み立てています。
短期集中、繰り返し。
物事を身につける基本です。
====== コメント =====
彼のコメント、結構重いなぁ。 「短期集中、繰り返し。 物事を身につける基本です。」 だそうだ。
私の中の、隠れメンターのひとりかもしれない。高校生の頃には、想像もつかなかったことが起こるんだな。
今、突然思ったけど、あそこで強がっていた私には、結局それなりの世界しか広がらなかったよね。これが、give はするけど、 take はしていないことの結末だね。
人から何かを受け取ることが嫌な肯定的な意図は何だろう?
前に彼は、「自分の髪を切るのはすぐに上達しない。それは切ってから髪が伸びるまでに時間がかかるから」だそう。確かに。そしてそれ以外のことは、本当に「短期集中、繰り返し」をすればできるようになってしまうから不思議とももはや思わないんだろうね。
そういう体験を、彼はピアノやヴァイオリン、フルートに写真、いろいろな語学、本当にその他もろもろの全てで体感しているんだろうな。
その根底には、エリクソン的、「リラックスしているけどフォーカスもあり、楽しみも欠かさず」という姿勢が貫かれている気がする。
本当の意味でのジェネラリスト。だけど、それぞれの分野でのスペシャリスト。でも、謙虚さを忘れず、楽しみを追求しているから、本当にどんどん伸びている。
最後に会ったのは、もう18年位前なのかな。今の自分があの頃に戻って彼といたら、私は一体、何をするだろう。何を聞くだろう。何を吸収するのだろう。
過去に戻ることはもはやできないのだから、今、思ったことを、今、やればいいんだろうな。

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