青柳です。
今年の9月に3歳の娘と共に、久しぶりにフィリピンに体験学習へ行ってきます!
思い出せばフィリピンへ初めて渡ったのは、1995年。
学生時代、単なる偶然からフィリピンで3週間滞在する体験学習を知り、
その場の勢いですぐに参加を決めたあの頃。
なぜフィリピンだったか、それは今でも分かりません。
でも、いまだに私の中で何か温かいものが残っているのって、
とっても不思議な感じがします。
忘れようと思えば、できたのかもしれません。
少しずつ、あのときの思い出や体験を風化させていくことで。
でも、子供ができた今、私の使命のひとつが増えた気がします。
今、目の前にいるこの子供がこれから大きくなる過程で、
私にはどうしても彼女に伝えたいことがあります。
それは、たんなる偶然の出来事で、私の子供は、私の元に生まれたということ。
そしてそれは、ある一定水準の生活基準を満たすことのできる
生活の保障を意味しているということ。
アントレ・ラボでの勉強会の時に津田さんがいったコメント、
それはこの偶然性についてでした。
もし私の娘がフィリピンの貧困が蔓延している村に生まれていたら、
今の彼女が享受している生活を送ることは不可能でしょう。
それなら、ただ偶然、私のところに生まれたからって、
もしかしたらそうじゃなかった可能性に目をつぶっていてもいいのかと。
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「正義論」を書いた政治哲学者のジョン・ロールズを学んでいたときの宿題。
「世界にはどういう法律が必要か考えて作ってみてください。」
ただし、あなたがどういう状況で生まれてくるか、
どんな国や地域、場所に生まれるか、もしくは、
それがどんな家庭や家族環境で生まれるか、
あなたが障害をもって生まれるかや両親がいるか、
女か男かどうか、
そういったことは、一切、分からないという前提で作ってみてください。
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私がフィリピンに娘と行くということは、
こういったことの答えを見つける旅かもしれません。
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