2009/08/16

物理学と認識論と心理学と認知科学

ジョンと出会ってから、NLPから派生している、もとい、NLP誕生のために恩恵をこうむらせてもらった先人達の知識の泉シャワーを浴びている今日この頃。


なんだ、やっぱり物理学にいっちゃうんじゃん、というのが正直な感想。


私の中で、15歳の夏の時の経験が余りにも強烈過ぎて、

そして、そのときの呪縛から未だに自分を解き放つことができなくて。


あれほど耽美な瞬間もなかったかも、今までの中で。


その体験をできるだけそのままにしたかったからか、何が理由なのかは分からないけれど、いまだにあの頃の感覚を抱いている夢を見て、その夢に目覚めさせられて。


あれから20年たった今、やっぱりまた物理に戻ってきてるよ、先生。


彼は結局、牧師になっちゃったけど、そしてNYのDrewに通っている彼の元をたずねたときに一緒に行った Yaohan や かなり深く語り合った Filipina 達が、あの頃の教室や桜の木の下での思い出と同じく、とっても強烈な思い出となって今も残っているけれど。

私にとって1995年への回帰が意味することが、少し分かってきた気がする。


途中、何度か物理を学び直したこともあったけど、今回はちょっと違う気がする。


ある意味、リフレーミングされた形でのあの時の物理と、今、この瞬間の物理を統合させる形になりそう。


なんだか「すっきりしないもやもや」を「すっきりするもやもや」へ変えているプロセスを、今、体験しているみたい。


NLPで課題がなくなることなんてない。その方向性や質が変わるだけ。

人が今を生きている限り、過去と未来は存在するし、それらとの対話をする自分がいる。

そういうことを怠りなくしている限り、常に課題は存在する。


明日の自分に向かって、あの頃の私から脱皮して、少しずつ、歩いているのだから。


さて、どうやって物理を含むScience と再び取り組んでいきたいか、無意識に聞いてみようっと。

D'accord?

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