これにつきます、生きるということは。
私が何度が偶然、苫米地さんの本を読んで、その理論には納得しつつも、彼のあくことのなき煩悩を無意識で感じ取ってしまうのは、彼が、もしくは、彼の著作が美しくないからだと思った。
なぜ、私が「美」にこだわるか。
それは、トレードを考えても、やりたいことを考えても、必ずどこかで何かを結ぶ見えない糸のような登場の仕方をする。
そして私に、何気にさらっと気づかせる。
”Trade is 美”
から派生したマインドマップは、 ”Shared 美意識” や 集団無意識、そして generative trance、はたまた、フィボナッチ数列やエリオット波動にも展開している。
そう、私がUptime でいること自体が「美」なのである。
無常とつながっているのか、禅とつながっているのか、その現世性、現在性、それが私にとっての美なのかもしれない。
そしてそれが美の線につながっているということは、美のパターンを形成することになる。
なんだかそういうことと、自分の中の美意識の再確認のプロセスがつながっている気がする。
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