2009/08/12

浅田 彰 と 加藤 周一

http://d.hatena.ne.jp/sora0970/20090404/1238852053  より

「加藤周一の死あるいはぼんやりとした不安」

人の死を最初の題にとることになってしまった。以下よそに書いた日記からの転載含む。



去年の暮れ、加藤周一が死んだ。

 加藤の位置について今更述べる必要も少ないだろうが、その博識に丸山真男が舌を巻き、サルトルが感心し、喧嘩屋大岡昇平が一目おき、東京大空襲下で医者として被災者の治療にあたり、被爆後の広島を日米合同調査団の一員として見、イェールはじめ欧米の大学を教員として回り、浅田彰が最後の知識人とよび、大江健三郎が真の大知識人といったあの加藤が死んだのである。サルトルの死を聞いた加藤が書いた文章にのっとれば、「人は死ぬ、加藤周一でさえ」ということになるだろうと思う。人は死ぬ。

 加藤周一は戦後を代表する知識人だった。その意味は、あらゆる分野の知識を備え、それらを見事に総合し、明晰な結論を引き出すことができたということである。

 1920年に生まれた加藤は、医者として出発し、しかしその後「非専門の専門家」としてあらゆる分野に渡って正確な文章を書いてきた。彼の知識人として突出した位置はこの死によって改めて確認されただろうと思う。加藤は他の怪しい「評論家」とは隔絶した場所にいたと感じる。

 加藤が最後に言った事は、今の時代には、1968年と良く似た閉塞感があると言うことである(NHKアーカイブス、「加藤周一が残した言葉」)。 「なんだか、退屈?」。それは抽象的ではっきりしたものではない。しかし、秋葉原の連続殺人、オバマの勝利(加藤は、オバマが抽象的な「チェンジ」という言葉の連発で勝ったことを、この抽象的な閉塞感の反映ではないかとしていた)、こういった昨今の事件は、その表れであるという。僕は加藤のこの最後の言葉に、直観的にでしかないが、同意する。それは恐らく、専門化の進展とも、したがって加藤の死とも無関係ではないだろう。僕も、なんだか、退屈だ。

 しかし退屈をこじらせると、人を殺したくなるかもしれない。我々は何か有意義な遊びを探すべきだろう。

 丸山真男はかつて「もっと多くの加藤周一出でよ」と言ったが、専門化の進む現代において、もやは次の加藤は難しいだろうと考えざるを得ない。丸山が死んだ96年より、よりはっきりと戦後は終わったのかもしれない。しかし、大江は新聞でこんなことをいっていた。

 「大知識人加藤周一を一人で引き継ぐことはできないが、しかしひとりひとりがそれぞれの仕方で引き継ぐことはできる」。

 加藤周一さんの冥福を祈ります。


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実際に私はこの二人を直接知らない。

NLP的には、私の五感への情報は何もない。あるのは言語化された感覚のみ。

もしくは、左脳的な知識のみ。

でも、今からもう14年も前の1995年にM から初めて薦められて知った加藤 周一は、今も絶対に消し去ることができない、私の心から。

彼の何が私をそんなにひきつけるのだろう。

アメリカにいる何年かの間、ニューヨークのKinokuniyaで、加藤以外にも、何冊もの浅田 彰や柄谷 行人や蓮見 重彦の本を買い求めた。

そして読んだけど、何やらさっぱり分からなかった私がいた。

そしてそれでも未だに放っておけず、捨て去れない私がいる。

あっ、これが「拾う」ってことの意味だったのか! 私の左手からの貴重なメッセージ!!


今、トレーダーである身なのにも関わらず。

もしかしたら、メタトレーダーのEAでリアル運用しているのは、何かのメタファーかもしれない。

これからの自分のミッションの行方。いや、今、この瞬間の自分の生き方の選択。

オプションはたくさん。そう、最低3つ以上。

この手から自然とあふれ出てくる感覚、これに勝るものは何もない。

Anything else?

アラスターが言ってるでしょ。 これに勝るものは、他にもあるでしょ、って。

私は彼のワークショップ受ける。Ericksonian hypnotherapy.

今、少しずついろいろなものが絡まり始めてきた。

そしてまた少しして、ほどくんだろうな、もつれた糸みたいに。

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