2009/08/19

シャーマンズボディより

西洋の心理療法は、古代の伝統に言及することなく、白人中心の中流階級的な夢にとどまっている。それはある部分では有効な夢かもしれないが、シャーマンの神秘的な性質、共同体への愛、そして変性意識状態を通じた自己認識を持つ文化を無視している。


「心理療法と呪術」
心理療法はシャーマニズムと出会うことによって、コミュニティ指向になり、また、あたたかい心や神秘的な出来事に注目するようになるだろう。今日、心理療法は普通の人間に価値を置き、医学は生命維持を目的にしている。それに対し、呪術は人生の質に焦点を当て、独創性を重んじる。呪術の世界は狂気と神秘に満ちている。一方、心理療法は最悪の場合、自分の内なる悪魔を飼い慣らすことを強いる。少なくとも、あなたを周囲の人々に適応させるために、それを合理的に説明しようとする。

現在までのところ、心理療法は中流階級の世界観を支えるために発展してきたように思われる。内省のための経済力、時間、安全を確保できる人々のものなのだ。それは向こう側の世界の入り口まで連れて行ってくれるが、向こう側に何があるのかを説明したとたんに再び扉を閉ざしてしまう。心理療法は、中流階級の普通の人の人生を守備範囲とし、それをより安全なものにするために力を注ぐ。嗜癖を止めなさい。自己評価を高めなさい。自分のアニマやアニムスを知りなさい。クライアントの問題に巻き込まれないようにしなさい。共依存は止めなさい。他者を手本に振舞いなさい。パートナーには異性を選びなさい。

より冒険的な方法であれば、向こう側の世界に通じる扉でにおいをかいだり、少しの間だけ向こう側へ渡ることがあるかもしれない。だが、善悪の判断基準は、合意された現実に基づいたままだ。夢を観察し、身体を感じ、人間関係で失われた感情を見つけなさい。そうすれば、世界に再び秩序が取り戻される。だが、本当にそうだろうか。何か大きなものが欠けていないだろうか。これでは人生に興奮や色や生き生きとした感じがなく、コミュニティに不可思議なことは起こらない。

呪術は別の次元を付け加える。呪術師は、心理療法家のように、向こう側の世界に通じる扉を開けるが、心理療法家とは違い、盟友に従ってそのまま旅を続けていく。呪術師の人生は、未知なる世界に通じる扉をくぐり抜け、二つの世界の境界が消え去るまで旅を続けなければ完了しない。呪術師の世界には、扉はなく、境界もなく、対立さえもない。呪術師は、意味を見つけるためではなく、疲れ果てるまで踊る。無意識の諸側面を「統合」したり、自分自身を知ろうとはしない。呪術師はただ身体に従うのだ。

普通の人間、呪術師、戦士、狩人、心理療法家のいずれになるかというのは、人生の時期の問題である。いずれも他のすべてと関係している。呪術師にとって、人生はアート、詩、狂気だ。自分のために書かれた脚本を実演するようなものだ。それに対して、心理療法家は脚本と俳優を研究し、それが明日どのような意味を持つのか知ろうとする。

シャーマニズムは自己成長にスパイスを加える。一方、心理療法家は忘れられたものに注意を払う。一方、呪術師は「馬鹿げたこと」を大切にする。呪術師は喜んでトラブルに巻き込まれていく。「馬鹿げたこと」を愛しているからだ。また呪術師は、盗人、嘘つき、狂人を内面に育んでいく。

心理療法家の影は狂気である。心理療法家は狂気を恐れる。戦士タイプのシャーマンは未知なるものを養う。戦士は、狂気を成長のための贈り物、精霊の顕現と捉える。戦士が死をアドバイザーにするのと同じように、心理療法家は狂気をアドバイザーにすることができる。

心理療法家の多くは、中流階級を対象に発展してきた。それは支配的な文化の標準的な価値観を支持する。すなわち、家族、仕事、教育、知識、健康、正気、日常生活が肯定されるのだ。それは洞察や自己成長、生や幸福を強調する。だが、偏見、経済的な不均衡、暴力的な人種間の対立が無視されているように思われる。

呪術師は違う。最近まで、呪術師が中流階級に属したことはなかった。また、生や愛だけではなく、死や憎しみにも取り組んできた。シャーマンはコミュニティの持続可能性に関心を払い、コミュニティの雰囲気に潜む精霊と対話する。個人の人生が心理療法の暗黙の対象であるならば、死、暗闇の神秘、コミュニティの再生などは呪術師の領域である。

0 件のコメント:

コメントを投稿